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LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の適当な日々の考察と日記

生活保護費について

保護費が増えて来て、預金が増えすぎてしまうと、一時停止されるとか、何やら面倒な手続きが起こるそうなので、

 

例えば、一定額以上になってしまった際に、銀行口座にある所持金をその時にある程度返金できるようにしてもらえると、良いのかなとか。

 

例えば6か月以上分貯まってしまった時に、2か月分くらいまで返金できるようにするとか。

 

現状「貯まらないように使い切らなければならない」みたいな圧力も感じる。

 

こういう給付されるお金というのは、部活の活動費みたいな感じで使い切らないと来年減らされるとか言って、無駄遣いさせられなければならないところがある。

 

それは本当に疲れてしまう。減らされたり、無くされたり、という風になると必要な時足りなくなるから、頑張って使わなくちゃ!とか、いう風になるわけじゃないですか。

 

生活保護を受けてる人は、正直、そういうことしたくないでしょう。考えたり動くことに支障あるだろうから。

 

だから、その辺、安心して受けられるようにして貰いたいな、と思うわけであり。なんか、あまりその辺よく考えられてないよね(´・ω・`)

多分、だから箪笥預金されちゃったりするのよ。

 

停止されたり、減らされたりしたら不安だから。だって止められたら、また受けなきゃならないときに窓際作戦とか書類複数出せとか言い出すでしょ。そんな根性いつまでもあるわけじゃないし。

 

それは制度自体が安心できるものじゃない、という話であり。

 

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まぁ、別のvector(変換したらこうなったけど格好良いから使ってみる)の話をすれば、生活保護者にお金を運用させることは自立の役に立つので、貯金してそれをどう使おうが問題ない、という風にある程度しておいて欲しい。

 

正気を疑うけど現物給付とか言い出す人いるじゃないですか。そうすると「お金を使う」という自由を剥奪するわけですよ。それだけ人権を制限される、ということになる。

 

人権もそうだけど、お金を使うという技術が身に付かず、かつ衰えてくわけであり、お客様として商品を購入するスキルも同様ですよ。

 

機会を奪えば能力が身に付かないのは当然で、お金を使えるなら使った方が自立のために良いわけです。

 

例えば車の所持は認められる場合と認められない場合があるのだと思うけれど、車を所持して運転するという自由を制限されている。

 

同様に、労働というのは「権利」なんで、働きたい、と行った時に、与えられるべきもの、なんだと思う。義務という面ばかり誇張されがちだけど。

 

その辺なんだか制度がスカスカな気がしますね。無能力のまま縛り付けて望んでも這い上がれない状態に釘付けにしてる気もする。

 

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毎日会社にいって働くほど気力も体力も無い。けど5年に1度くらいなんかやれる、みたいな人っていると思うんだけど、現状、そういう人の能力が社会に出る機会が無い。

 

コツコツ毎日地道に作業するだけが仕事で価値を生み出すことだと思っていて、年収を稼いで自立した生活をしていかなければ生きている価値が無いとかいう社会だと、こういう一発屋的に明らかに社会的価値を生み出す人を活用することはできない。

 

こういう人が漫画なり芸術なりパソコンみたいな技術なりツイッターみたいな画期的なソフトウェアなりを生み出すかもしれない、という機会が出て来るのをイデオロギー的に制限している。

 

だから、仮にBI(ベーシックインカム)みたいな、その人が日常的な生産性は薄い知的生活を送ることを可能にする状況を実現して、社会に出てくる価値というものもあるんじゃないかな。

 

まぁ、貴族が文化を生み出してきた、的なあれです(´・ω・`)だって、今だって一発漫画をヒットさせただけで何世紀か悠々自適に生活できるくらいの富を生み出せたりするわけじゃないですか。

 

それはそれだけの価値を一瞬にして生み出した、ということに他ならないわけで、一日8時間規則正しく働くことが価値を生み出しているわけじゃないでしょ(´・ω・`)

 

 一億総活躍とか、みんなが毎日一日8時間働いて、手仕事して汗をかいてというイメージじゃない?( 一一)いや、でもさ。一方じゃドローンで宅配しようとか、単純労働は機械で置き換えよう、っていう時代なんですよね。。

 

 

 

 

 

 

語るに落ちる

私は優しい人間です。と言えるだろうか。言えない。

それは観測した結果の誰かの感想に他ならず、じゃあ、私は優しいから〇〇してあげる、とか言うのだろうか。そういう風に、人は自分の性格を行為に繋げたがるが、私にはそれはオカシイと思える。

 

再帰的で、あるいはマッチポンプのようだ。他人に優しくしてしまうのは、自分が何らかの理由からそうしたかった、だけであり、結果として「優しい」という評価をされてしまう。

 

そういう問題なのだ。だから、性格の形容は本質を捉えていない。結論ありきの統計みたいなもので、結果に合わせて都合の良い数字や式を持ち込んだだけの形骸である。

 

自分を形容しようとする際の視点と、事に当たろうとする際の自己の視点は異なるものであり、ベクトルが異なるのだから、正しく写し取れているとは思わない。

他人と仲良くしなくてもいいんじゃないかな

発達障害界隈は「他人と仲良くできなければならない」みたいな思い込みが激しいのではないか、という印象を受けた。

 

だからというのではないが、他人と仲良くならなくても良く無い?という風に思うのである。無理して仲良くする必要なんて無い。

 

仲良くしない、ということは「否定」ではなく、ゼロ地点を指す。だから攻撃的になれ、とか否定しろ、非難しろ、ということでは無くて単なるゼロで良いということ。

 

別に無関心になれ、ということではなく、興味があれば関心を持てば良いし、単純に「仲良くならねば…!」と身構える必要は無いのではないか、程度の話である。

 

仲良くなれないなら、それは仲良くなれなかっただけのことであり…(´・ω・`)

 

カサンドラ症候群とか相手に陥らせないために私は健常者のフリをして好感度あがってるフリをしなきゃいけないわけ?そうしないと仲良くなれてる実感が得られないから、喜んでいるフリとか、反応してるフリをしなくてはならないわけ?

 

そういう感情労働を常日頃から強いられるとか無理だな、と思っている。仲良くなりたいなら健常者に歩み寄れというが、無理っす(/ω\)喩えて言うなら「自転車を向かい風に向かって漕ぎ続ける」ような苦しさが、健常者に対するコミュニケーションの中にはあると感じており、仲良くなる前に苦しくてダウンする方が早いんですよ。

 

したくないことに対してストレートな発達障害者としては、それ自体避けたいという忌避感情がコミュニケーションを重ねるほどに重くなっていくわけであり、最終的に「生理的に無理」という状況になり兼ねないな…と。

 

まぁ、だから彼らはよく携帯のアドレス帳を真っ新にして新天地に逃避行したりするんじゃないかと思うのだけれど(/ω\)地域に無難に住んで過ごしているだけで他人の好感度が上がってくのが辛いんですよ(´・ω・`)顔見知り増えるし。

 

他人の私とコミュニケーションを取りたいと思っている風な期待が辛い。まぁだから、期待されても、その期待に応えなきゃ良いんだと思う。私たちは他人と仲良くしようと思い過ぎて気を揉んでるけど、それ自体が悪い結果をもたらしているような気がする。

 

だから、「上手い反応をしなきゃ!」と思うのではなく、残念ながら某は期待されても応じられないのでござる…という前提で関わった方が良いかなーと思いつつ。

 

結局、誰かと仲良くなりたい、とか思うこと自体が精神的な負担や空気読めない行動に繋がりがちだと思うわけで。

 

それは「仲良くなってはイケない」ということではなくて、他人に対する構え方としては間違ってんじゃないかな、と思うわけである。

 

健常者はこの人と仲良くなりたいな、コミュニケーション取りたいなと信号送るわけだけれど、それは前提として相手に同じような人間であることを期待しているわけで。私は同じような人間では無いので、その信号に応じられないにも関わらず、頑張って応じようとする。ここが間違いだと思う。

 

例えて言うなら、外国人と鉢合わせて、エクスキューズミーと言われて、イエスだのドントスピークイングリッシュだのと答えてしまうと「英語喋れるじゃん?」と間違った期待を抱かせてしまう感じである(´・ω・`)

 

私の対応として正しいのは、素のままで「はい。どうしました?」と応じることだと。そうすりゃ言葉通じないからその状況でどうすればいいか、と相手は考えざるを得ない。そこで言葉主体のコミュニケーションからボディランゲージや絵を介したコミュニケーションに切り替えてくれるかもしれない。

 

けれど、なまじ私が健常者のフリ、英語を話せるフリをしてしまうと、相手は自分に合わせてくれるものと思い込み、コミュニケーション手段を切り替えてはくれないだろう。

 

そういう風な失敗をしているような気がするわけである。「この人日本語喋れない人だわ」みたいな気づきを早々に相手に与えた方が良いだろう。「あぁ、この人話の通じない人だわ」でも何でも良いが、私がそういう障害があって意思疎通なりなんなりが微妙なのだ、ということをさっさと伝えておいた方が良いのである。

 

その結果、9割9分くらい私から去っていくのだとしても、残った人は、まぁそれでいいということなのだから。そうではなくて健常者のフリをして「ニホンゴハナセマスヨ。ダカラナカヨクシテネ」なんてことをやっていると、あぁ似非関西弁スピーカーだわこいつ、と見切られた時点でやはり去る人は去っていくのであり、その方が頑張った分だけダメージも大きいわけである。

 

そんな風に、出来る限り完璧に相手を騙し切る技術をコミュニケーション能力として鍛えたいという人がいて、そうすれば仲良くなれるんだ、という人がいるが私は懐疑的である。

 

 私が演技に疲れ果てるか、相手が私に違和感を見出して見切りをつけるか、なんてレースをしている気になる(´・ω・`)

 

なら疲れるだけだしなぁ…みたいな。

 

療育にしても、そういう英会話能力を高めるだけで、付け焼刃に過ぎず、だからそれじゃ友達も彼女もできないという現実やネイティブの中では差別されてしまうような状況から抜け出せないような現実を脱することはできないのかもしれない。

 

私は療育は受けていないのでその辺は未知数だが。

 

だから、療育を受けたから、SSTを熟したから、ライフハックしたから、普通の人の幸せが手に入るはずだ、と期待するなら、そんなわけは無い。その手のこの私では無い違う私になれるはず、というような目的意識を持って取り組むなら、それは挫折せざるを得ないように思える。

 

友達も彼女も結婚も普通の人にとって当たり前のあれやこれやは望むべくもない、という現実は何をしても手に入らないし変わらない。

 

その比較が間違っているのであり、全ては私なりの関係性にならざるを得ない。「普通の人用」の定規で、私の人生のあれこれを測ること自体がナンセンスである。

 

だから「不幸にしかならない」と言っているわけではない。この否定はマイナスではなくゼロだ。発達障害者には発達障害者の定規があるはずであり、それは一般的に明らかでは無い。結局は自分用の適当な定規を作らざるを得ないように思える。

 

ただ、それは誰しもがそうであろう。単に汎用性のある定規を自分はテンプレートとしてさえ使えない、みたいな話であって。誰しも自分の判断基準を自分で構築していくものなんじゃ無かろうか。

 

まぁ、健常者の中にはレールに乗ってるだけで特別難しいことを考えずとも適当に適当なその辺の定規で生きていける人もいるのかもしれないが…(´・ω・`)

 

 私は私という生物であるし、あの人はあの人という生物である。

 

そもそも私が人間である必要があるんだろうか( 一一)私が犬や猫として生まれて来ても、それはそれであるわけで、発達障害を持って生まれて来ても、それはそれに過ぎない。特に人間として生まれて来なければ間違いであるなどと言うルールはどこにも無いわけである。

 

けれど私たちは「まともな人間として生まれてくる」ことは当たり前だと考えている。正直、一匹の昆虫とかミジンコ辺りに生まれる可能性もあったのではなかろうか…( 一一)

 

少しばかり「まともな人間」から外れていたとして、それが何だというのだろう…。人間として生まれてくるルールとかそもそも無いのであってみんな偶然に過ぎないだろうに。私の頭がおかしいのもそういう珍しくも無い偶然である。

 

それこそ「まともな人間として誰しも五体満足で生まれてくる」という神話を当たり前に信仰し過ぎだろう…( 一一)

 

どこの誰が私の生まれにおける安定した品質なんてものを保証してくれたというのか…( 一一)自分の運命に期待し過ぎだろう。

 

空想してみるが、私が死んだら胡蝶の夢を再現するようなことも有り得ると思い、戦々恐々とする。無限に記憶リセットして生死を繰り返すんじゃないだろうか、と。だから生きるも死ぬも怖いのだと理解するが…。

 

ならば完璧に生まれないことなんて、何のことは無い。当たり前の現実に過ぎない。何に生まれようがそういうことはそういうものなのだろう。

 

まぁ、とは言え、無限に繰り返すとかやめて欲しいもんだけど。考えるだけでしんどいわ。

 

 

 

 

 

 

漫然と生きている日々

まぁ、所謂「目的意識も無く」日々を何かのステップアップのために利用するでもなく、何かをするでもなく、あてもなく、やる気も無く過ごしている。

 

そこに悪気を感じるわけでも無い。罪悪感を感じろ、という人もいるだろうな、と予想はするが。最近思うのは「人はそれぞれ別の人生を送るのだ」というようなこと。

 

まぁ、人で無くてもそうなのだが、殊更述べるようなことでも無いかもしれない。

 

一億層活躍という言葉が世間で踊っているが、団塊とか一億火の玉とかそんなイメージ。「お前も私も同じように頑張らねばいけないのだ」というメッセージ性を感じてしまう。

 

しかし、私としては、そうした二人三脚は人生早々リタイアしてしまったので傍観する。それは参加選手の話だから、社会生活は見学して過ごす私の問題では無いと思っている。

 

毎日規則正しく何らかのノルマをこなして生きるということがどうも出来ない。気力もやる気も問題意識も動機も特別なものが無い。そして、社会的な摩擦によって直ぐに私の行動力を支える意志は削がれる。

 

大抵の場合、なんで生きているのか分からなくなって、生きるためには働かなければならず、それは前述したように支える意志が削がれて日々を規則正しく働いて生活を支えようとする気持ちも自分の中には無く苦痛だけが身体を苛むのだろう。

 

であれば、生きるのが苦痛で不安でしか無く死のうと思うだろう。穏やかな日々を過ごしたい為に。

 

私は現状、漫然と生きていて、それで良いような気がするが、あくまでもそれは社会の中で許されて無ければならない。それがやはり一番の問題であろう。現実的には生存権は無条件では中々認めては貰えないだろうから。

 

端的に言うと、一生それなりの刑務所の中で良いから、殆ど働かずにだらだらと適当に暮らしていたいという人がそれなりにいるだろうと思う。勿論、贅沢は別に出来なくても構わない。

 

結局、フルタイム等の現実の尺に自分を合わせて日々を過ごすということが苦痛で仕方が無いのだと思う。身体に合わない服を着たまま生きていくことに耐えられない…。

 

そんなようなことがあるんだと思うんですよね。みんなが耐えられる訳では無く、特に発達障害者的なコメントをすれば、私たちは実際、合わせることに耐えられない人間なわけです(;´・ω・)

 

その辺、障害も含めて人間には差があって「同じでは無い」という風に了解をいただきたい。食べ物にアレルギーがあるように、我儘なりの事情というものが色々あるわけで。

 

そんなわけで、

私は自分とも他人とも戦う意欲が無いので、流されるまま生きている状態ですね。今後どうなるかは分からないけれども、どうする気力も無いので、波に流されるままに生きてるな…(-_-メ)

 

 どんな生き方が正しいのか?そういう話では無くて、私自身は今の日常の過ごし方にはある程度満足を覚える。

 

友達もいないし、交友関係とか0だし恋人もいたことが無ければ童貞だし結婚の予定も永久に無いし社会的な地位を獲得したいとも思えないけれど、今の生活にある程度満足を感じる。

 

 プレステ4欲しいな、と思ってもポンと買えない生活です…( 一一)基本的に5千円以上の買い物は躊躇するような。貧乏を賛美してるのではなく、単に社会参加できないような底辺の障害者に資金力とか無いんで(´・ω・`)

 

ダイソンの掃除機とか、羽の無い扇風機とか、もうちょっと広くてエアコン付いててベランダで布団が干せて風呂が一々浸水しないマシな部屋に住みたいとか、欲しいものはあるっちゃありますよ。ただ得られる能力が私には無いだけで(苦笑)

 

とりあえず騒音が理由で人に殺されるようなアパートとか碌なもんじゃ無いですね(;´・ω・)なんで息を潜めて日常生活を送らないとなんないのさ(笑)そんなの絶対おかしいよ!

 

多分、私の住んでるところは、そんなことは無いはず…。いや、上階や隣室の音は多少聞こえるけど。苦情送る程互いに問題は感じていないはず(/ω\)

 

まぁ、だけどジャイアンリサイタルみたいな真似はできないですけどね。ひゃっくりが止まらなくなって、上階がなんかざわざわし始めたりということがあって(;´・ω・)もう少し防音仕様だと良いんだけどね。

ふぅ。

 

・友達・恋人・結婚・家族仲

私は最近、こういうものにそんなに拘って無くて、全部無いですけど(爆)それで不幸かと言われれば、そうでも無いし。他人と関わると「不幸なことにされる」というか。無けりゃ無いで良いっていう人もいるんですよ。

 

世の中のマジョリティは友達や恋人や結婚や家族なんかにそれなりに縁があるから、縁の無い人が信じられないだけで、そういう人もいるし、じゃあ、マジョリティじゃないから直ちに不幸になるのか、というとそういう訳でも無い。

 

確かに学校で省られるなんてのは辛いけど、私は友達がいないこと自体はどうということも無い。あくまでも「他人の目を気にせざるを得ない状況を外側に用意した状態における居心地の悪さ」みたいなもんだと思う。

 

友達が欲しい…云々は、「恥ずかしく無い世間体(建前)が欲しい」くらいの感覚で友達・恋人・結婚なんかは考えられがちだと思う。

 

現代においてもやはり人は「体面を気にする」と思う。私もあれもこれも持っていない・できないからと言って「可哀想な人」なんて思われたくないし。

 

恋人も結婚も自分の生活の中に入り込む余地が見えないですよ(^^;

私が結婚できないのは「おかしい」って言っている人っているけど、私は私がもしも結婚することになったとして、それこそ何かの間違いだと思うよ(´・ω・`)友達も恋人も私の眼鏡に適う相手が現れたとしてそれは何の冗談かと思うでしょう。

 

そのくらい私にはそれらが自分とは向いていない関係性だと思う。だから無理して、そういうものを得ようとか、それが得られれば自分が幸せになれるとも思わない。

 

それについて「可哀想な人」呼ばわりする人が結構いそうだけれど、あなたにとってはそうなんでしょうね…( 一一)としか…。10人中9人が私について「可哀想な人」と思ってくれたとしても、それは「10人中9人が私を可哀想だと思う」ということでしかなくて、私は別にそれで不幸だという訳では無い。

 

話は変わるけど、最近、もう一生童貞で構わないんじゃないかという気がしてきた(笑)反対材料が見当たらないというか…。私が童貞で誰か困る訳でも無いし。私も困らないし。性欲が減ってきて女性に対する見方が逼迫したものから余裕あるものに変わってきた気がする。

 

30秒に1回Hな空想をしなければ死んでしまうということも無いし…(´・ω・`)昔は女性と見るとHなセンサーが超反応してしまう病気でしたが最近は若さを失ったので、微反応くらいですね。

 

もうねHをして満足を得られる旬な時期を逸してしまったんじゃないかな…という( 一一)性的に乾いた時期に性的なものは与えられるべきなのであって、今はもうね。

 

要するに、眠気があって寝るから気持ちいいのだし、お腹が空いて食べるから美味しいのだし、性的に飢えていてHするから満たされるわけですよ。

 

だから性的に飢えていないのに童貞を失ったところで何の喜びも無いと予想できる…(/ω\)

 

夫婦のセックスレスとか問題になるけども、性的に欲求が無いのにHしてもしょうがないでしょ…(´・ω・`)愛があるとか無いとかの問題じゃ無いと思うな。性欲の問題。AVコーナーでも作って自慰してればいいの。

 

まぁ、だから、その辺は風俗行って来たら、でも割り切れちゃうんだろうな(;´・ω・)人によってはね。愛人とかは私は割り切れないけど世の中には割り切れちゃう人もいるんだろうさ。

 

まぁ、じゃあ「愛」ってなんなのさ、と言うと、その人と「家族」をやろうとすること、だと思うけどね。そこじゃやはり信用されるように振舞わないと絆ブレイクすると思うし(´・ω・`)

 

犬の飼い主は飼い主らしく振舞うでしょ。家族やるには家族らしく振舞わなきゃならないし「信用」されることって大事。「信用」されるように振舞うことは中々難しいかもしれない。嘘を付かずに生きることは難しいから。

 

どうしても「ごにょごにょ」濁したくなるような問題って出て来てしまうような気もするし。話せないようなことも。じゃあ、その黙秘やら嘘や誤魔化しは正当な判断だと言えただろうか、と自問自答する。

 

それらを胸中に秘めていて、私は「信用」に値する振る舞いを取れているだろうか…みたいな。その辺は善くあろうとするような道徳性の話だけど。

 

で、家族が不倫やらしてしまうと、信用してくれと言われても、ゲージ振り切って壊れますよね( 一一)私的には一発レッドカード案件というか。

 

家族=無礼講みたいに思ってる人多い気がするけども、主に男性(笑)でも、家族ってのはそうじゃない。共同体で共同生活する小さなコミュニティが家族だから何をしても無条件に許容される場所なわけではない。

 

そこに関係性が生じるのであれば、誰とでも、親しき中にも礼儀あり、だと思うな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本好きの下剋上 感想 予想

561話辺りの感想

 

・ヴィルフリートの話

何だかんだアウブになりそうな予感。前からローゼマインとの結婚は無いと予想はしていたが、やはり、という感じ。ローゼマインの呪縛が解けたので自分の意志でアウブになりたいと志すのでは。

ヴィルフリートに難色を示すコメントが散見されたが、私はかなり優秀になったな、と思う。ローゼマインと比較され続けて憎悪しても良いところを感情を諫めて飲み込める力もあるし、兄妹としてなら関係を続けていけると呑み込めている。更に加護の数にしてもローゼマイン以外と比較して飛び抜けてる。

普通、ヴィルの境遇を考えると腐って性格が曲がってしまっても仕方ない状況だと思えるところ。そこを真っ直ぐ育とうとしている辺り私は見所あると思うが。読者がマインの味方過ぎるんだろう(苦笑)

 まぁ、彼らにとって政略結婚なんて苦痛以外の何物でも無いですよ。マインはジキス王子とも予定が立ってしまったけれど、これも愛情なんて端から無いですし、そういうの無関心になる以外に取り繕えるマインさんでは無いようですな(´・ω・`)

ランプレヒトに対する「八つ当たり」というのも、単に何でも話せる間柄で不満や弱みを見せられる相手なんだろう、と思うが(´・ω・`)それで人でなし扱いされるヴィルが可哀想だわ(苦笑)

養父様に関して、やはりヴィル優先というのをローゼマインは「自分は目に映らない」と書いていたが、それは血の繋がりとか家族として一歩劣るみたいな感じなんだろう。それでも大分目にかけているはずではあるが。

元々、ローゼマインは自分が利用価値云々で取引される道具的な達観してるからなぁ…。

それとヴィルとマインは兄妹逆転してるんですよね。実質マインが姉の役目を担う羽目になっていたわけで。でも見た目は兄妹で兄の方が妹より劣ると目されてしまう、という。

それ自体、歪な状況だったし、当初、マインはヴィルを見下してたと思うんですよね。「何この悪ガキ…みたいな」その心証から婚約者という扱いになるよと言われても、そもそも無理があったわけで。

ヒルデブラントとヴィルは同列だと思う。マインからしたら育つ過程にいる子供(に過ぎない)。彼らからすればマインの来歴を知らないのでそうは思わないだろうけど。

 

 

シャルロッテ

姉に付いてきたりして(´・ω・`)無いか。お姉さまを支援するのが私の生きる道、的な。うーん。

 

・ダームエルとフィリーネ

恐らく中央へ来るだろう。コンラートは独り立ちの予感。二人はくっ付く気がするな…。

 

・ローゼマインとフェルディナンド

当初から最終的に二人がくっ付くと予想。図書室も用意できないジキス王子では役不足ですな…。逆にあれだけの蔵書を与えられる人間がフェルディナンドくらいしかいないという話で独走態勢に入った感。

 

王族が図書館与えなくて正直ほっとしましたね。フェルディナンドの行為が台無しになるところ(/ω\)いや、図書館くれって王族にも要求しちゃう辺り台無しにしているのはローゼマインだけども。

 

ヒルデブラントはそもそも子供臭しかしませんし…(;´・ω・)まぁ中央に行ってからラオブのクーデターが起こって、マインがフェルディナンドにグルトリスハイトを投げるんだと思う。最終的にフェルvsラオブのフラグはあると思うし。でグル典投げたマインは女神と(´・ω・`)

 

フェルディナンドは政治能力も王族のお墨付きだし(´・ω・`)

 

ジキス王子には苦手意識持たれてるし、アナスタージウスはマインを用が済んだら返却扱いだし、トラ王は盲目的にツェント命だし、王族登録だけ養女になって貰う感じですな…。多分、他人に与えるにも条件があって、その結果、フェル様しかいねーや、ってことになる気がする。そして、トラ王はツェント命だから。

 

養女→グル典入手→ラオブ叛意→ラオブvsフェル→フェル王就任→マイン・フェル婚約?

 

おじいさまやヴィル兄がその辺どう思うかは微妙だけど(;´・ω・)まぁ、ジキス王子の第三夫人とかの決着は物語的に無いでしょう。王子も悪い人じゃ無いんだけどね。

 

家族を思い出して家族同然さんに縋る程度にはローゼマインはもう(´・ω・`)下町家族は欠片も出て来ない辺り(/ω\)やっぱ守って貰える立場だからな…。下町の方は守ってやらなきゃならないが。

 

ただ遠距離恋愛的な断絶は感じるので、予想はしても確信は持てないですね…。

 

 ・下町関連

ベンノ・ルッツ・トゥーリ辺りは中央に進出してくるかな。

 

基本的に悪役は悪役らしく裁かれる話だと思うので、逆に言うと悪役じゃないキャラはそこまで酷い目には遭わないだろう。

 

 

 

 

 

失敗を許す

世の中、一度の失敗で全て台無し、ということが多い。けれど、失敗を許す世の中であって欲しいと思う。

 

勿論、許されざるようなことも多いが、日常生活における殆どの失敗はあまり問題が無いことも多い。失敗の結果の安全が保障されているのであれば、失敗を重ねても問題にはならない。

 

私などは失敗を冒して初めて気づくということも多く、それが一度の失敗で身を破滅に追い遣るような問題だとどうしようもない。

 

例えば歩きスマホなんかは、実はかなり危険だが、危険な目に遭ったことが無い運の良い人が、それに気づかず、危険を重ねていたりする。

 

その手の失敗の話ではなく。

 

日常で何かをやろうとしたときの失敗。料理に失敗した、とか掃除で失敗した、とかいうのは、失敗したからやめる、というのではなく、次のチャレンジに繋がると良いのに、と思う。

 

失敗を活かせ、というと私などは尻込みするので、失敗に怖気づいてやめてしまうことが勿体ないこともあるのでは、と思う。

 

少し考えれば失敗を避けれるかもしれないのだが、行為そのものを断念してしまう。そういうような在り方になったときに、立ち止まって考えられると良いのかもしれない。

 

行為の遂行の中に失敗を織り込む。

 

そう考えて「失敗した際の立ち直り方」とか「やり直し方」というのを学べると良いと思う。武道でも「受け身」は稽古の毎回で行うけれど「転び方」に対する対策は人生において重要なんじゃなかろうか。

 

上手くいく方法ばかり考えて、上手く行かなかった時のことを考えていない。この煮詰まったり、上手く行かないときの対応やら心構えというのを色々知っておきたいなと思ったり、覚えておきたいなと思ったりする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

REゼロ感想 7話

ベアトリス可愛い。

 

ベア子、エミリア、ロズワールは声が合ってると思う。

スバルは次点。

ラム・レムは合ってない気がする。若い声優だろうな、と思ったら予想が当たるレベル…(´・ω・`)ジブリっぽいんだよね…。

小説を読むときはスバル=圭一君、で補完してるので、キリト君だとまた違うなーという感じ。悪くは無いと思う。ただ、ちょっと落ち着いて感じられてしまう。

 

演出面は涙流れ過ぎだろ、と(;´・ω・)滝かな、って感じである。もうちょっと自然に泣かせられないのか、と。

 

ラインハルトの時もそうだったけど、アニメーションと考えると拙い演出が見える。画数も少ない?

 

死んだレムを助けてという場面があるが不自然。もう死んでるし助けよう無いじゃん(;´・ω・)

 

最後の流れが心理的に、俺はお前らが好きだから絶対助ける、に繋がる気がしないんだよね。その辺の誘導が下手かも。

 

もう無理わけわかんないし、死にたいし、というところから、手を繋いでいてくれたかもしれない、からと言って、絶対助けてやるわ、って覚悟を決められるような描き方じゃ無かったような気がした…(;´・ω・)

 

スバルの心理描写を描くシーンが結構多い作品なので、そこに説得力をもたせられないと白けちゃうかな。