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LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の適当な日々の考察と日記

悪いことってわかんない

精神障害

自閉症知的障害の中には「ごめんなさい」は知っていても、「ごめんなさい」が何なのかは知らない人がいるのかもしれない。「ごめんなさい」は反省の言葉だけれど、反省の言葉だということ自体は理解していなくて、何らかの行為をした際に「ごめんなさい」と言わなければならないのだ、と学習しているケースがあるように思える。

犬に3回まわってワンを躾けるみたいに、その子は3回まわってごめんなさいというアクションを覚えるだけに過ぎない。だから、恐らくそこに罪悪感は生じていないのである。自分が何か悪いことをしたのだな、という連想も働いていないのかもしれない。だから、私は何かを反省しなければいけないのだな、という連想も働かないし、何かが悪かったのだな、とも思わないのである。

だから、お茶をこぼしたら「ごめんなさい」というように、片づけが終わったら「ごめんなさい」という一見おかしな行動を取るのだが、その子の中では筋が通っているのである。

自閉症の想像力の障害を極端にしていった場合、こういうところへ辿り着くだろう。知的障害の伴わない自閉症の多くは、ここまで極端に想像力を害されはしない。一方で、知的障害を伴う場合には、恐らく連想の能力も大分損なわれてしまうのではないか。

知的障害を持つ人の連想力が1だとして、知的障害を持たない自閉症の連想力が5、一般の人の連想力が10というようなイメージ。これは自閉症想像力の障害と言われるものに対する単純なイメージ。まぁ、一般の人とは若しかすると機能的に違ってしまっているのかもしれない??知的障害を持つ自閉症と持たない自閉症とでは同じパラメーターの多寡で表せるのではないかという推論。ワーキングメモリーが足りないとか編集力が無いとか聞く。

ただ注意して貰いたいのは、連想の能力が全く働かない場合には、自分を責めないで済むので自傷的に自尊心を損なうことがない。一方で知的障害を伴わない場合には、連想が働いてしまうために自分が悪いと中途半端に分かってしまうために、自尊心を傷つけてしまうのである。自分は役立たずであるなど、自分で自分を傷つける悪循環に陥ったりする。

知的障害のあるケースの自閉症より、知的障害の無い自閉症の方が障害が軽いとは限らないのはこの問題があるためだと私は思っている。恐らく、この二つのケースは質的にその困難さが異なるのである。

私は自分がもしかしたら定型発達者で、ただ努力が足りないとか、環境的な影響を受けて人と関われなくなっているのではないかと思うことがある。自分はただ障害者という言葉に甘えようとしているだけのズルい人間なのではないか、と思うことがある。実は自分は普通なのではないかと思うことがあるのである。

他人が見て分かり難いと言われるように、自分から見ても分かり難いのである。だから、人によっては自分を発達障害だと疑うことも無いという。

自分が普通では無いのではないかという悩みは多分かなり深刻である。だから、余談だが、なんとなく性同一性障害とか同性愛者とかの人の気持ちも分かる気がする。したがって、あまりホモネタとかで笑えなくなり、不謹慎だなーと思ったりだとか。笑えている人は他人事だからさ。

こういう悩みも知的障害が無いために生じるものなのでは無いだろうか。