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LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の適当な日々の考察と日記

障害について本人に聞くことで分かるレベル

精神障害

普通の人の普通の感覚で言うと、コミュ症と発達障害は区別できないレベルである。

だから、普通の人が悩みを抱える発達障害者に普通の人でもあるあるだよーとか慰めるんだけど、

発達障害者側は分かって貰えてないよなーと思うわけである。

普通の人でも発達過程において適当に育つことが出来なければコミュニケーションに障害を抱える。これはパーソナリティ障害としてのコミュニケーション障害だと言えると思う。

発達障害者としてのコミュニケーション障害というのは、生まれながらに抱える脳機能の障害により、他人との意思疎通が困難になるというものであり、その結果としてのコミュニケーション障害だと言える(また二次障害としてのコミュニケーション障害も抱え得るが割愛する。)。

分かり易い比喩を出して見れば、風邪とインフルエンザである。普通の人の同じ同じという発言は風邪とインフルエンザを同じと言っているようなものである。風邪とインフルエンザは異なる病気である。これらを分けるには知識が必要になってくるわけである。その知識が無い人が支援の現場においても非常に多いことが今日的な困難である。

普通の人は気休めとして大した意味も無く「同じ」と言っても、発達障害者は真に受けて「同じ」なんだと思おうとするだろう。こういう対応を取ると何が自分の障害何だか分からなくなる恐れがある。それで「障害は克服できる」なんて考えて、普通の人に言われるがままに社会適応しようとして無茶に頑張る人が出てくる。客観的にその様を見ていると哀れである。

これはインフルエンザの人に風邪の処方箋を出すくらい意味が無い行為だろう。

見た目には分からないからと言って、外見的に普通の感性を当て嵌めてこれっぽいと当てずっぽうで言っても実際には当て嵌まらないのだと思う。インフルエンザの人が自分ではインフルなのか風邪なのか良く分からないように、発達障害者も自分では障害なのか普通なのか良く分からないのである。

「あなたの障害は何ですか?」と言われても、こうこうこういうものです、と応えられる発達障害者は稀だろう。インフルエンザと風邪の違いを詳細に応えられる人が少ないように。本人に聞いて分かるのは外面的な諸症状に過ぎないだろう。要は熱が出て辛いとか、その程度のことである。どういう対応が必要なのかに関しては、素人考えで対処しても無駄であることが多いだろう。

病理に対する知識が伴わないまま、処方箋を出しても、当てずっぽうである。闇雲なのである。そんなものは民間療法に過ぎない。

発達障害者に発達障害とは何ぞやと聞くことは、プラトン的な方法論だと思う。こいつは勇気があるぞと言われている人に勇気とは何かと聞くようなものである。私としては「良く分からない」が正答だと思う。ただ普通の人の普通の感性では「なんで自分のことなのにわからないんだ」という話になるのである。いや、逆ギレだろ・・・それ。自分のことだから分からないのは当たり前である。

鏡が無ければ自分の姿を見ることはできないのだ。

普通の感性を持っている人間は「正しい」んだと思ったら大間違いである。

普通の感性とやらは普通の感性に過ぎないのであり、だから、それなりの癖があるものだ。

ただ社会の側が普通の感性に合わせて作られているから、あまり支障が無いのに過ぎない。

例えば、左利きの人は右利きの人を逆にしただけなのに困難が多いのはなぜか。

それは、社会が右利きの人に合わせて作られているからに過ぎないのではないか。

そもそも自然のままの目では無く、科学の目を通して物事を見る必要性が生じたのは、

<普通の目>そのままではクリアできない問題があったためである。

社会が発達障害者用に作られていれば・・・などというifを考えてみると、それは逆に普通の人が暮らしにくい社会であったりするのかもしれない。例えば、左利き専用の社会が右利きの人が暮らすには不向きであるだろうというのと同じように。

発達が普通=正しいという社会だったなら、最大多数=善とかで、簡単でわかりやすくて良いかもしれない。

私もその点には同意する。正義という考え方はわかりやすくて楽だよなーと。

けれど、どうも「普通=正しい」というわけでは無いらしい。

まぁ、現実なんてそんなもんだよなーと思うけど。

例えば仮に、進化論的に言っても、突然変異の個体が生き残ればそれがそいつらの普通になっていくわけだしさ・・・。

その辺の考え方なら、たまたま今の地球で生き残り易かったのが今の普通の人たちなんだろう。

ちょっと考えると分かるはずだけど、今の社会で、普通の感性=良いものとして考えるのは原始的過ぎるよ。私は知識を持って良く考えて貰いたい。常識というのは知性に基づいているんだよ、と。詳しく無いけれど、お隣の国の人は反日教育という間違った知性を与えられて常識で考えたら間違うという羽目になってしまっているらしい。普通の感性で常識的に考えているにも関わらず。

普通の感性とか常識とかはその程度のレベルである。これを視力1.0くらいだとして、2.0に上げるためにはそれが正しいのかどうか科学的に網羅的に検討しないとダメなんだろうと思う。

自分の目と感性だけを頼りに生きていける時代じゃないことだけは確かだと思う。いや発達障害者が言ってもそれこそ適当言っているだけなんじゃないかという気がするけどさ。私から見た<普通の>人だってちゃんと見れてるのかわからないわけだし。