ある療育書では、次のようなやさしい表現でこの自己矛盾を表現しています。「この世の中の「社会性」は私たち「多数派」の論理に適合したものです。自閉症スペクトラムの子どもたちにとってきっとそれらは「理屈にあわない」「肌になじまない」ものなのです」。「君の感じ方・考え方はそれはそれで真実なのだと思うけれど、多数派の理屈にあわせる技をもったほうが君もみんなも暮らしやすいからね。よろしく頼むね、ということなのです。」(吉田、2003年、165p)。『自閉症の社会学』p196
君の感じ方・考え方はそれはそれで真実なのだと思うけれど、多数派の理屈にあわせる技をもったほうが君もみんなも暮らしやすいからね。よろしく頼むね、ということなのです。
これって、モラルハラスメントだと思うんですよね。私はそれは恫喝だと思う。
例えば、トランスジェンダーの人に同じことが言えますか?ということ。
これを書いた人は、じゃあ、明日からインディアンの中で暮らして貰いますね。よろしくお願いしますね。と言われて「それじゃあ、仕方ねーな・・・」って思えるのかな・・・。
私なら「無理。お腹痛い。休む。」
です。
私からすれば、これは、例えば、戦勝国に「明日から強制労働してもらいますね。よろしくお願いしますね。」と言われる敗戦国の兵士みたいな心境なんですよね。
明日からここはイスラムのものになったから、あなたにもイスラム教の教えに従って貰いますね。よろしくお願いしますね。というね・・・。
ここは、そういう論点をつめないで便宜的に適当に書いてるだけだと思うなー。だったら、書くなよ・・と。
郷によっては郷に従えというのは分かるけど、それは一時的なものだから耐えられるんだと思うな。そもそも自閉症児自体が普通の人たち程、忍耐強くすら無いわけで。それは障害者用トイレみたいのを作るみたいに社会の側が仕方ねーなっていって、バリアフリー作るべきなんだと思う。
現実的に目途が立たないのなら、そう書けば良いのであって、あぁ、結局、白人が黒人に俺らのルールでやって貰うからって言ってるようなもんなんだよなーと。
主権守られて無いじゃん、と。
この辺は移民の話とも絡んできますよね。
日本人は無宗教・無差別。
でも移民は嫌。自分の国のルールを主張して、私たち(多数派)のルールに逆らうから。だから帰れ。
これで終わりじゃん・・・。
日本人は宗教的だし差別的ですよ・・・と。単一民族国家=一神教だと思うけどね。僕は。
みんなそんなことは知ってるのかもしれないけどね。今更で。
何も名前のある宗教が宗教ってわけじゃない。宗教=価値観。
多様な価値観を認める・認められる社会であるのかどうか=多神教。
自閉症者がここで強いられているのは、
神様がいないと分かってるのに敬虔なキリスト教徒として振る舞え、という役ですよね。