行政関連の目標を見ていると、札幌市では「生きる力」を育むとなっているけれど・・・。
どうも脳筋っぽさが溢れている気がしないでもなく。
個人的に思うのは、子供の成長にとって必要なのは、第一に、安心・安全である。
そして子供の教育理念として掲げるとしたら、健全で健康な発達を支援するとかかな。
要は虐待・いじめ・体罰などの暴力やハラスメント行為から子供を守り、
誰もが安心して健やかに(伸び伸びと)育てる環境を整えること。
そこが守られていれば、そうそう卑屈な人間が育つことは無いと思う。
勿論、それは理想である。
けれど、学力云々よりも社会化の過程に重点を置くことは大切なことだと思う。
『桐島部活やめるってよ』という映画を観たのだが、
学校教育の制度の中では、社会化は周囲の環境に任せっきりになっている。
その結果としてスクールカーストというような構造が出来上がってしまう。
教育はここに踏み込まなければならないだろう。
企業が求める人材は協調性があって・コミュニケーション能力が高いというものだが、
それはまともに社会化されている人間ということだろう。
それは健康と言い替えても良い。
それを考えれば学力という問題は二の次である。
例えば、それは、いじめに遭う子供を救い上げ、その不全な環境ではなく、健全な環境で育つ権利を与える、といったようにすることである。子どもの心身が歪まないように、理論的に、各人の個性に合わせて心身に配慮した教育に努めることである。
ここでいう健全とは、各員各様の体育会系なノリの健全ではなく、学術的な発育・心理の理論に則った理性的な健全である。
そこが人間性の基盤である。
知識
学ぶ力
社会化
これらを親一人に任せず社会全体の福祉で管理・監督していく必要がある。