ダウン症の出生前診断ができるようになったので、ダウン症だと診断された親のほとんどは中絶を選ぶという話。
97%だそうだけど。
私は発達障害者なので、やはり考えてしまう。発達障害の出生前診断ができるようになったとして、親はやはり中絶を選択するだろうか、と。まぁ、答えはYESだろう。特に日本社会では。私も発達障害者として生まれて来たくないし。
個性と障害とは裏腹である。かなりリスキーである。馬鹿と天才が紙一重であるように。
三島由紀夫や太宰治が良い例だが、個性というのは何がしかの病である。
私的には人間の文明も病気みたいなものなんだろうと思っているが、そう思う人は他にいるんだろうか。
だから、ダウン症が良い悪いということは無い。ただ弱いから淘汰されるのだろう。
染色体異常の観点から、彼らを人間では無いとする見方もあるそうだが・・・。
突然変異みたいなものなんだろう。それが強ければ人間に代わるかもしれない。
だから、あまり意味は無い。
環境適応的なものが残っていく自然の原理が働いていくだけなのだろう。
そういう意味ではダウン症は不利なのである。
先天的な身体障碍者というのは多かれ少なかれ出来損ないである。
脳もまた身体だと私は思っている。人間というのは身体そのものである。
先天的な視覚障害が治せないように、先天的な自閉症も治しようが無いだろうと思う。
それは社会化の初期の時点で、この身体に併せて脳が調整されてしまっているからである。
左利きが今更治せないように、自閉症も治せないだろう。
治ることを期待してもいないのである。過ぎた時間を今更やり直すことはできないのだから。
『アルジャーノンに花束を』じゃないけどさ。治してるのか壊してるのか分からないわけで。
ロボトミー手術なんてものがあるけれど、薬漬けも似たようなものである。
一時的な病気には良いかもしれないが、ずっと続く障害にはどうかと思う。
少なくとも現代においては、まだ実験という感じが抜けないし、モルモットを買って出る気もしない。
そうした治療の話は、これから生まれてくる人たちにとっての話だと思う。
ダウン症の人工中絶も同じである。
もう既に生を受けて生活しているダウン症の人とは関係の無い話である。
過去に戻ることはできないのだから。
普通の人の話では、高校無償化とか大学全入時代なんかであろうか。
自分の頃は大学に行かせて貰えなかったのに「お前は狡い」と。
まぁ、そのような話である。
羨ましいという気持ちが憎悪感情に転嫁するという。これはルサンチマンなのかな。
けれど、これから先、誰が社会を支えていくのかと考えると、子供に憎悪を向けても百害あって一利無しである。