LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の適当な日々の考察と日記

空気を切ることの必要性

第二次大戦で日本が暴走した理由は、空気に引きずられてしまったから、であるらしい。

例えば、いじめを傍観することも空気を断ち切れないからである。

日本人は空気を読むことはできても、それを断ち切ることはできない。そういう行為を学ばないからである。

教育でそれを学ばせないのは、教育が基本的に軍隊の教育であるからであろう。

命令は絶対であり、逃亡は死罪である、とか。

そういう場所で育つとそういう人間ができるのであり、それは構造的な結果であって、人間が普通にそのように育つという訳では無い。イスラム教徒は少年兵を育てて戦わせたが、彼らにはそういう世界しか見えないのであって、それはやはり教育の結果である。

軍隊式の教育は兵士を育てるためのものであって、主体的な人間を育てるためのものではないのだから、主体性が育まれないのは当然の結果である。そういう教育で育ってきた人は、それを普通だと思っているのである。人間ならこういう考えが当たり前だと。その人の思想も教育の賜物である。常識とは日本における常識である。

空気で政治をしているから、馬鹿な野次などを飛ばしてしまうのだろう。赤信号みんなで渡れば怖く無いというやつである。やっていけないことは自分の頭で考えるべきだが、私の周りの人はばれなければ良いと思っている人が多いのである。

日本人はインターネットを利用するときには利己的になるそうである。顔が見えなければ、言いたい放題していい、というわけだ。ばれなければ大丈夫・・・。日本人の少なく無い人がそういうモラルである。それは基本的に兵隊だからである。表では規律を重んじるが、裏では・・・。日本に兵役は無いが、学校が兵役みたいなものだ。

そういう規律があって、経済発展などの目覚ましい成果があったとも言えるのだろうが、最近ハラスメントという問題が大きく報じられるようになってきたように、この構造が表出する負の側面を見ざるを得ないのだろう。

社会全体が大凡軍隊式の構造になっているので、それを正すという気持ちが最早無いのかもしれない。けれど、私はこの構造を閉塞的だと感じるし、息苦しい。

もう少し息の抜ける社会だと良いのだが。