LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の適当な日々の考察と日記

早期介入支援という教育の考え方

テンプル・グランディンの本を読んでいて、早期介入支援という療育が重要な役目を果たしている、という風に聞いた。

私の両親は、私が子供の頃は何もせず、大人になってから、もう良い大人なんだから自立しなさいというような人であった。

テンプル・グランディンが言うには、幼少の頃の親の対応として最悪なのは、何もしないことだと言っている。

まぁ、彼女が言わなくても、常識的に考えればそうなのだが、責任回避的に子供は放っておいても育つなどと正当化する文言が選ばれたりするわけである。それは宗教であり、信仰である。日本人は世間の常識という宗教を信仰しているわけである。

普通の子も、自閉の子も、誰だって手塩にかけて育てられなければならない。

成人したら大人になるなんていうのは嘘で、キチンと育てられた結果として自立できる子に育つのである。だから、上手く育たなかった子は失敗作であり、生まれてきた環境を呪うしかないというのは割と正しいと思うのである。そういう問題は割と最早どうしようもない。

大人になれなかった子供というのは世の中の不条理である。けれど、合理的である。極端な例を言えば社会には野生児というのがいるわけである。野生児というのは、生まれてから人間社会から疎外されて生きてきた子達である。そういう子はどうも精神的な発達が限定されてしまうらしい。早期の発達過程における教育は多かれ少なかれ子供の生き死にを決める重要な時点だというわけである。

脳の柔軟性というようにグランディンは言うが、三つ子の魂百までというように、この時期の対応というのが実に後々になって重要であるようだ。まぁ、私にとっては既に過ぎてしまったことであるが。但し、社会化の過程は生涯続いていくものと考えられている。この生涯続く社会化というのは、要は誤差修正的な環境適応能力みたいなものである。最初の適応の時点で酷い適応の仕方をしてしまうと、この微力な社会化の力では、やはり、どうしようもないこともあるのだろう。

人生は何時でもやり直せると人は言うが、実際にはやり直すことなんてできない。

せいぜい、ずれてしまったものを引きずるようにして修正していく程度のことしか可能ではない。最早、成長してしまったあとでは、そのようにして粘り強く努めるしか手段が無いのである。

守られた環境にいない人は、恐らく、そうした地道な軌道修正の努力は不可能だろう。