LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の適当な日々の考察と日記

自分の見方

よく自分の心理を見て、私は悪い人間だ・・・と感じてしまい、自分を責めたりする。

太った人とすれ違って心の中で舌打ちしたり、罵倒したり。

身の程知らずな暴言を、私などはよく思考してしまう。口に出したりはしないのだが。

口に出してしまう汚言症という障害を持っている人もいるが、ここでは問題にしない。

思考は実在しないか、と言えば、それは在ると言える。電気信号で思考はやり取りされて、恐らく強化されている。

だから、思わない方が良いと言えば良いのだろう。

ただ、差別という問題を考えたとき、自分が差別的で無いとは私には思えない。

私は他人を差別しているし、美しい人を美しいと思い、汚い人を汚いと思うだろう。

それをいけないと無かったことにしようと努力するよりは、自分が差別していることに自覚的であった方が良い。

それが何であれ、自分の感情を抑圧して、あまつさえ嘘をついてしまうと、自分の気持ちが分からなくなる。

自分とは何かというと、それは身体自身であり、理性は身体を操縦しているのである。

生起される感情とは、痛みや痒みと同様の身体のシグナルであり、

それに対する応答のあり方を私たちは理性的に決定しようと努める。

そういう言い方をするのは、基本的に理性とは身体の奴隷だからである。

身体から発せられるシグナルを無くしてしまうと、相応の対応が取れなくなってしまう。

生起される感情を歪めてしまうと、歪んだ結果を受けて物事を操作しようとするだろう。

外界から受ける刺激によって生起する感情を歪めるべきではないと私は思う。

だから、他人から受ける不快感や反感といった感情を否定せず、受け入れた方が良い。

そういう意味においては、誰かに虫唾が走って罵りの言葉を思い浮かべたりということは普通の反応である。

虫唾が走る>罵りの言葉を思い浮かべる、という反応をしているので、それが嫌だという場合は、

虫唾が走ると、感情を打ち消すのでは無くて、

虫唾が走る>>>Xする。

この後の反応Xを変えれば良いのである。