輪廻転生からの解脱が仏教の理想であるらしい。
解脱とは、新たにこの世界に生まれてくることがないということ。
これはかなり理解できる。
私も昔は、生まれて来たくなかった。眠ったままにしておいて欲しかった。と思っていたのだから。
それは来世もどうせ苦しみと不条理に満ちたものだろう、という絶望感から来ているのだろう。
人生が苦痛で楽しめたものでは無かった場合、自己の内部で暗い意識の中で悟りを開こうと頑張った場合、
そういう結論になる。
釈迦は現実的な人で人生に絶望していたのだろう。
当時の世界は、現代よりかなり不条理であっただろうから、現代のように科学の力によって、未来を明るくできるかもしれない・・・なんてことは想像できなかったかもしれない。
従って、キリスト教などの宗教は天国を求め、仏教は解脱を求める。
要はこんな世界帰ってきたくないよ!という話であろう。
で、現代においては、論理と科学とヒューマニズムなどによって、現世自体を天国にしようという話である。
この天国というのは、この世で生きていきたいと望めるような環境というくらいの意味である。
まだこれから面白くなるのに死ぬとか無いわという人もいて、そういう人生が現世の理想だと私は思う。
そして、文明の発達によって、それらは期待できる。
釈迦の解脱が理想だという話を私はよく理解できるし、今を生きていることが楽しいんだという人の話も今は理解できる気がする。何れも地続きだということは良く分かっており、これはどちらが正しいということでは無い。
来世において、絶望に落とされるような人生を歩まざるを得なかったとしたら、私は解脱したいと願うだろうし、幸福の内に生きられたとしたなら来世も生まれて来たいと望むだろう。
個人的には永久不滅的に輪廻転生を繰り返し、前世の記憶は無いから唯一的にランダムに選択されたその生を毎回生き続けるという無茶苦茶な円環の中にいるという風に考えた方が納得できる。
そういう意味では、解脱したいなー、と思うだろう。