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LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の適当な日々の考察と日記

暴力について

例えば、危険な犯人が投降する際に、懐に手を入れて黒い財布を取り出す。警官はそれを誤認して発砲してしまう。悪いのは警官なのか、犯人なのか。

私は例えば人から殴りかかられる振りをされたり、軽く小突かれたりするとする。相手にとっては暴力と呼べないものでも、私にとって、それは恐怖の体験だったりする。その時点で少なくとも私にとってはそれは暴力である。相手にとって加減されていて取るに足らないことだったのだとしても。

暴力とは割と主観的なものだと言えそうだ。虐めに敏感になっている人は些細なことを暴力的だと感じるだろう。それは、その人にとって暴力なのだ。それに対して過剰な反応を起こしてしまったとしても、それは正当防衛の結果なのだろう。

例えば、キリスト教徒に対する踏絵のようなもので、ある人にとっては取るに足りないことでも、主観的にそれを暴力と感じる人が存在するということである。

また銘記しておきたいのは、暴力を想起させるようなアクションはそれ自体が確かに引き金を引いてしまっている、ということだ。その時点でそれは冗談にならない可能性を含んでいる。仲が良いから冗談として通じるだろうと思っていても、それが自分だけの思い込みに過ぎず、通じないという可能性を考慮して動かないと大参事になるかもしれない。