LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の適当な日々の考察と日記

欲望の均衡(フィードバック)

Facebookが示した結果は、人と繋がりたいと言う思いを過度に煮詰めるとどうなるのか、ということだろうか。

コミュニケーション依存症じゃないけど、時間を取られ過ぎて生活に支障を来たしたり、忙しくなりすぎてうんざりしたり、プライベートが犯されたりするんじゃないだろうか。

僕は極端な例だけど、内向的。逆に外交的になり過ぎるのも問題がある。太っていることの対極は痩せすぎていること。これも問題がある。欲望の均衡が崩れてしまっている状態だと呼んでおこう。人間が欲望に振り回される原因は生活に幻想を抱いているから・・・のように僕には思われる。

欲望というのは本来限りが無いものではない。それは例えば収入が一定になると幸福度が上がらなくなることから推察できる。欲望というのは基本的に生きる為のバランサーである。お腹が空いたから食べる。寝たくなったから寝る。エッチしたくなったからエッチする。欲望が満たされれば、気分は解消され、もう要らない、となる。

そこで止められるのが普通の働きだと思っているのだが、人間は人生に意味を求めるから、つまりより快楽的な状態が長く続くようにと思うために、欲望が既に解消されているにも関わらず、加えて快楽を得ようとする。それは無理をしているのであって、結果として行き過ぎが起こるのだと僕は思っている。

欲望は心電図のようなもので、僕らはその振れ幅を適宜抑えてやれば良いのだと思う。けれど、それじゃ物足りないと思うために、それ以上の何かが得られるはずだと、決壊してしまう方向へ行ってしまったりする。

欲望とは代表的には排泄行為のようなもので、日々、波の如く繰り返し打ち寄せては引いていくものだ。ある意味では自分の意のままにならないものだろう。

他者との接触も同様だろう。欲求不満の反動から強い代償を求めるが、本来程々で済むことであるし、解消されれば離れたくなる。だから、コミュニケーションツールは24時間繋がっているようではダメなのだ。僕らの求める人的接触は欲望が解消される程度であるべきで、繰り返し訪れる度に、適度に付き合えば良いものだろう。過度な接触は胸焼けしてしまう。

女性を無理矢理凌辱し殺してしまうような狂気やら、相手を殺し自分も殺されたいといった出鱈目な愛情への渇欲は結局、欲求不満の反動に自棄食いするようなものだと思える。カルピスをあまりにも飲みたくてたまらずに原液のまま一気に飲もうとしてしまう…というか。我慢した分だけ多くを取り戻そうとする。反動として強い代償を得なければ嘘だと思ってしまう。欲望を満たすチャンスが一期一会だとでも思っているかのように。

そういう形で一気に欲望を満たそうとすれば、やり過ぎて壊れてしまうような愚かな結果を招くと思う。

立ち現れては消えるものである欲望を、常にあって満たせるものだと勘違いするから、下手なことになるのだと思う。欲望も感情も波のようなものだ。女性に恋焦がれても、その欲望も波であり、永遠であるはずだと信じれば現実に振り回される。解消された欲望は消えるし、逆に手放せばその内また隆起する。

男性的には性欲の発露とその消失とを繰り返すようなものだろう。そばにある時は気付かないなんていうが、満たされれば欲求そのものが消えてしまうのだから当然なのかもしれない。そういう性質に僕らは突き動かされていることを理解しないと唯一的な価値やら意味を欲望に求めて踊り狂うことになるのでは無いだろうか。

欲望とは揺れ動くもの。適宜、適時、適当に付き合わなくてはならないものである。

人生の意味は兎も角、生きること自体は生の欲動。この欲望に突き動かされているものだ。だから過度の欲求不満に陥らない程度に適当に欲望を消化しつつ過ごしていくということが幸福なのだと考える。この波の中に固定的な生きる意味を見出そうとしても、それは無理というものだろう。

質よく生きること自体と、その人の人生の目的(自己実現?)とは分けて考えた方が良い。

僕には為すべきことなど無いのだが。