LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の趣味と考察と日記を適当に

人生は運か努力か…追加で

「人生は努力だけじゃダメで、運も必要だ」と最近耳にするようになったけれど、私ならそこにもう一つ付け加えたい。

努力の方向性だと。

要するに「頑張る」だけじゃダメなのだ、という話だ。車に例えると「頑張る」というのはアクセルを踏んだ状態。それだけだとハンドルを握る人がいないよねという話。要はそこに私が付け加えたいのは車を操作する人だ。目的を持って安全にそこへ到達する。地理や道順、交通ルールが頭に入っていなければ危険だろう。

兎と亀じゃないけれど、幾ら速くても目的を見失ってしまうようではゴールに到達できない。逆に目的をしっかり把握して着実に物事を進められるなら、遅くてもゴールすることは可能だろう。

多分、要領が良い人というのは、目的の設定とそこへ到達するためのプランの作成のような部分が優れているのではないだろうか。「膨大な量の計算をするなら、パソコンを使った方が楽で速い」とか。数学は楽をするために発展してきたとどこかで耳にしたけれど、楽をするための工夫ができる考え方が出来ることが要領の良さに繋がっているのだろうと思う。

序(ついで)に経営者もこっち方面に思考を割いているんだろうかね、と思った。

あ、別に人生において必要なことに要領の良さを付け加えている訳じゃ無いですよ。

医療関係の発展の話を持ち出そうと思うけれど、滅菌の手法が確立するまで、帝王切開の致死率は75%とか高かったらしい。帝王切開自体も常識的に考えれば「腹を切って無事で居られるものか!」と思ってしまう。画像検索をすれば分かるけれど、ホントあの状態で大丈夫なの?と思ってしまう。19世紀後半までそういう有様だったというのだから、驚いてしまう。

トライアンドエラーを繰り返して知見を積み上げ、手法として確立する。その結果が現在の安全性なのだという。だから基本的には手順を覚えてそれをなぞるだけで良いのだろう。

この例から何を言いたいのか分からなくなったが…多分、頑張るにしても手順をちゃんと踏めないと死んじゃいますよ?という話であろう。じゃあ、その手順ってどこから持ち出すのさ、というと、それは知恵を積み重ねる他無いんじゃないの?という気がする。ある種の合理性というか。そこに行きつくための試行錯誤というか。

昔の絵描きさん、というのは作品に一生手を入れ続けるような人もいたらしい。そこに私は感銘を受ける訳だけれど。文章の校正にしても、一日置いて読み直すとか、そうすると気付かなかった修繕点に気付いたりする。

詩は特に繰り返し読み直すのに適していると思う。短くて示唆的であったりするので。そこから何を汲み取るのかは、その時々による。けれど、同時に繰り返し読み込むことで読みやすくなり親しみやすくなる。

ゲームのリメイクなんかあるけれど、リメイクすることで良くなることが多い。まぁ、FFのそれはリメイクというより移植だと思うけれど。楽をするためにリメイクと打って商品化するのではなくて、ストーリーや設定なんかを深めたり、昔のシステムを今のものに改めたり、グラフィックを今のものに改めたり、新作と同様に手をかけて欲しい。

今の時代、常に新しいものを求めて、取っては捨てて、ということを繰り返す(気がする)。そういう印象がある。全ては一過性のものに過ぎず、再度手に取られることは無い。まぁ再販なんかはあるけれど。それにしても、同じものを売るのでは無くて(以下略)。

例えば『トトリのアトリエ』なんかだと、追加要素として、簡単なものを追加しますよ。じゃなくて戦闘のテンポを改善するとか売ってみて出て来た不満点を改善するようなことをして再販して欲しかったりする。今はオンラインアップデートとかも出来るだろうに。

次から次へ目移りしてしまうより、既知のものについてより深めていくのも良いような気がする。