LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の適当な日々の考察と日記

RETHINK

名古屋の大学生の女性が老人を斧で殺したそうですね。

僕なんかは「ひぐらしの鳴く頃に」が引用されて来た時のことを思い出します。

この子は友人(?)に毒を盛り、今度は宗教勧誘の老婆を斧で殺害する訳ですが…。

まぁ、ショッキングな事件です。なぜ斧が家にあるのか…とか(苦笑)

厨二病と言えばそれまでなんですが、どこか常識がぶっ飛んでたんだろうな…。

SNSにRethinkというシステムを取り入れていじめの発言を90%阻止したと言われている少女が紹介されてました。

「本当に投稿しますか?」という一文を入れるだけなんですけどね。確かに一利あるかな、と思って。

彼女が言うには人間の脳は25歳になるまで不完全なものであるそうで、若者が不安定なのは脳の成長が未熟だから、という訳です。僕なんかはそこに加えて思春期の諸々の他、将来決定などの通過儀礼が混乱に拍車をかけているように思えますが。

精神障がい者の犯罪数は健常者よりも少ないらしい。統計はそう出ているが、果たして本当なのかは分からない。

そして、健常者の範囲もまた分からない。件の少女は「サイコパスか」などと言われているが、何でもかんでもサイコパスのせいという風に言っている気もする。

「普通じゃ無くなってしまったから犯罪を犯すのだ」と。そうなのかもしれないし、そうではないのかもしれない。僕は人は普段善人面をしていると思っている。ところが自分に都合が悪くなると他人を非難し自己を正当化して自分を防衛する。自分が傷つくことを恐れるからだろう。痛いのは怖い。傷つくのは怖い。だから嫌だ。善人面をするのも基本的にそういう意識が底にある。だから、良い人だと思っても肝心なところで掌を返すように見えるのだろう、と僕は思っている。「良い人」の大半はその方が利益があるからやってるんだろう、と。だからこそ自分が不利益を蒙ると、その仮面を脱ぎ捨てる訳で。

キリスト教徒なんかもなぜ他人に施すのかと言えば、それが功徳になるからだろう。聖書が言っているからそうすることが模範的なキリスト教徒の在り方なのであって、そうじゃなければ進んではしないのかもしれない。外国人は日本人を「良い人」とか「善人」とか素朴に評価することが多い気がするけど、それは違う。優しさも謙虚さも「メリットがあるからやっているのだ」と裏を読まないと偽善に振る舞う本当の動機が見えてこない。

何より他人の優しさや謙虚さは疑った方が良いと僕は思う。人間不信なのかもしれないが、利用されるよりはマシだと思っているから。その人の振る舞いはその人にどんな利益をもたらすのか。人が暴力的になるのもその方が都合が良いからだろう。他人を恐怖で支配できる。優しさや謙虚さも同様に他人を自分の都合の良いようにコントロールしておく方法なのかもしれない。

「あんなに優しかったのにどうして」なんて思うような出来事があれば、そういう態度を取っていた裏を考えなきゃいけないと思う。「正直者が馬鹿を見る」のは間違っているという命題があるけど、正直者=素朴で純粋で無知なのだと思う。無垢であることは良いことだろうか。赤子のままでは生きて行けないから周りから学習するのであろう。

無垢で純粋な方が良いと考えるのは、やはり、その方が都合が良いからである。別にだからといって、常在戦場で闘争の中で弱肉強食で生きてるんだよ、という気は無い。大抵の人が優しく謙虚にしてようと思う理由は恐らく何事も無く平和に生きたいからである。それが脅かされるから優しさと謙虚さの仮面を脱ぐ訳だ。僕の考えでは。

ただそういうことを仮面を被っている当人は考えたことが無い人が大半だろうし「私は優しいですよ」なんて平然という訳である。本気でそう言ってくる人は凡そ省察が足りていないと思う。ペルソナを被ることが自然過ぎて、なぜどうしてそんな行動を取るのか分かっていないのである。それで普段は大人しいのに…とか言って魔が差したことにする。

例えば、「何事も無く平和な日常」=普段であり、その人が大人しくしているための条件なのだと思う。それを普遍的な性格と捉えているからダメなのだと。