LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の趣味と考察と日記を適当に

死にたい反対は生きたい?

僕は感覚派の人間なので自分の感じ方と照らして言うわけですが…。

「Yさんは生きる実感が欲しかったようだ」

それもそうだし、世の中の人たちも「生き甲斐」を求めているような気がする。

「生きている気がする」という日常を送りたいらしい。

スポーツとかセックスとか激しい運動を欲するのは「生きている実感」が欲しいから?

「童貞って生きてる意味あるの?」

みたいな。

「生きている意味」が欲しいらしい。

「生きていることに意味がなければいけない」という思い込みか、強迫観念がある人がいる。

自己啓発書は割合そういうことを薦めてくるし、キリスト教は天職があると考えている。

僕は「生き甲斐とか特に要らないんじゃないか」と思う。

日々のストレス解消法くらいはあったら良いと思うけど。

「生きている実感が無い」ことはダメなことで「死んでいるのと同じ」だろうか?

ちょっと言い方を変えて僕の言いたい形に直してみよう。

「生きている意味が無い」ことは不幸で、それは幸福じゃないからダメなのだろうか?

この問いに対して僕の答えは、

1僕は「生きている意味が無い」ことは不幸とは別だと思う。

2幸福じゃないからダメということは無いし「幸福じゃないから不幸である」という訳では無いと思う。

まぁ、不幸の意味を調べてみると「幸福ではないこと」と出るし、幸福の意味は「不幸でないこと」と出そうだけど…。

辞書的な意味はここでは置いておこうと思う。「言葉をどう定義するのか」は結局は個々人に拠る訳だし。

僕は幸福や不幸を「一時的な感情の状態」と考えている。「食事を食べて幸せだ」「入浴して幸せだ」とか、そういう感慨を持つことだ。確かにその意味で言えば幸福の反対は不幸だと言えるかもしれないが、では「幸福でなければ不幸なのか」というとそれは違うと思う。

追い風でなければ向かい風なのか、と問うのと同じであり、水で無ければ氷なのか、と問うのと同じだと答える。幸福を否定したからと言って、じゃあ不幸という訳では無い。単にそれは「幸福ではない」というだけである。暗に不幸であるというニュアンスを受けてしまうだけで。

「生き甲斐があることは幸福である」は良いとしても、じゃあ「生き甲斐が無いと幸福では無いから不幸である」というのは違うだろうと僕は思う。分かり易く言えば、生き甲斐によって、0に+1をしているだけであって生き甲斐を失っても0に戻るだけだ。人間は不可逆的な生き物である。例えば、携帯が使えない・パソコンが使えない時代に戻ることなんて考えられないと思うだろう。だから、生き甲斐を失ったとしたらマイナスを感じるだろう。それを不幸だと言っても良い。けど初めから生き甲斐を持っていない人は特に痛痒を感じないと思う。それは不幸だと言えないだろう。

幸福や不幸は何れにしても一時的な状態だと僕は考えている。「だから別に良いんだ」とは言わないけど。「終わりよければ全て良し」とかは割と最後の瞬間が幸福なら良いじゃないか、みたいな話だけど、最後の瞬間に「幸福でなければ不幸である」ということも無いだろう、と僕は思っている。

例えば「寝てる間に死んでたとしたら?」幸も不幸もあるまい…と。ニュートラルな状態というのが普通にあるだろう、と思う訳である。要は凪のような状態。「平和は退屈だ」みたいな。だから「戦争したい」みたいな。いや、ほんとにいるらしいですよ…そういう人が。「幸福を求める」というのはそんな感じである。客観的に見れば「平和を享受しとけよ」と思う訳で。「ラリってないから不幸だ」とか思っちゃうとかもうダメだろ…と思う。

僕は「幸福でも不幸でも無い状態」というのを、もっと考えてあげた方が良いような気がする。みんな「幸せになりたい」っていうけど、じゃあ今「不幸なの?」って話である。不幸な人もいるだろうけどさ、そういう人は不幸な状況から脱することが出来れば良いのであって、それ以上は必要では無い。まぁ、マイナスから0に戻りたいと考えればプラスする必要があるんだけどさ。

「年収500万円以上の人の幸福度はそんなに変わらない」とかいう統計みたいな話で、生活が安全安心ならそれ以上の幸福を求めようってのは不幸だからという問題では無いと思うんだよね。不幸じゃないけど快楽が欲しいんでしょ?みたいな。

それはそういう話だと思うけど。有名大学の学生が乱交パーティしたりとか…。不幸じゃないはずなのに何でそんなことしちゃうの?っていうと、ニュートラルな状態を持て余すんじゃないのかね?退屈だから刺激が欲しいみたいな話なんじゃないの?わからないけどね。それは不幸だから、じゃなくて、それだけの話。不幸じゃないけど+αが欲しいんだろう、と。

だから、幸福の反対は不幸じゃないし、不幸の反対も幸福じゃない、と思うんだよね。対立する概念だからと言って、簡単に裏返るのかという話で。黒と白は対立してるけど、その中間はグレーでしょ?みたいな話で。色ならグラデーションで分かり易いけど、幸不幸は割とすっ飛ばしちゃうので、分かり難いと思う。

SMのどっちと聞かれても、大抵はどっちでもねーよ、と思う訳で。わざわざ白黒に分けようとするのが面倒だと思える。

幸せじゃないとダメなんですかね?不幸じゃなけりゃどうでも良いと思うけど。