もったいないという言葉が流行った時期があったのだけれど。
僕は割とこの言葉に反感を持っているのかもしれない。
例えば、学校給食で「好き嫌いせず食べなければいけない」「食べ残しはいけない」
というのは嫌だった。最近は牛乳なんかは体質によってはお腹を壊すといったことが膾炙されてきたようにも思われるが。
他にはアレルギーだろうか。けれど、そういうことが無ければ「食べなければならない」と言われることには抵抗がある。
大人になれば「ビールを飲まなければならない」というような無理強いをされることに似ている。そういう無理強いが少しずつ「なんとかハラスメント」と言われて糾弾されるような世の中になってきたようには思う。
個人的な感想としては、煙草がその切っ掛けなんじゃないか、と思っている。僕は携帯があっという間に世に広まって街道から公衆電話が減っていく様子を覚えている。そんな風に駅のホームで大人が灰皿?に群がる光景も目に付かなくなっていった。
僕は嫌いなら食べなければよかろうと思う。「飢えている子供のことを考えなさい」とか「何も食べるものが無かったら」などと言われるが、それはそれだろうと。
僕は「残すこと」も教えた方が良いと思う。「食べ物はお金で買えるけどカロリーも買ってるんだよ」と。他にも微量な農薬なども買っているのかもしれない。マグロなら水銀もおまけでついてくるのかもしれないし。煙草を買えば発がん性物質もおまけで付いてくるだろう。安い買い物なのか高い買い物なのか表示された金額では推し量れない部分というのがあるだろうと。
お弁当なんかは買ったから全部食べなくちゃとか思うのだけれど、お腹いっぱいになったら冷蔵庫に入れるなり捨てるなりすれば良いと思う。余してしまうことはもったいない行為なのかもしれないけど、食べ物に関していうなら必要以上に食べ過ぎる方が問題を招く。
まぁ、「捨てる神あれば拾う神あり」ということだろう。勿体無いと思うことに意味があれば、捨てることにも意味がある。断捨離という言葉が流行った時があるけど、捨てることも大切だろう、と。勿体無いという意識が過ぎると「捨てられない」で困ることになる、ということもあるのだ、と分かっていればいいのだろう。
まぁ、こういうのはどっちが良いかということでは無く、選択の結果得られるメリット・デメリットを推し測るものだろう。