LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の適当な日々の考察と日記

小説を書いてみているけれど

 自分でも小説を書いてみる訳ですよ。そういう人は多いと思うんですが、それで気付くのは才能の無さ?まぁ、それもあります。想像力無いなとか。それ以前に書きたいことが無いことに気付く。恐らくそれでも書くのがプロなんですが、僕は無理ですね。動機が無いと動かない人だから。高橋留美子とか何が原動力になってるのかな、って思う。恐らく一生遊んで暮らせるはずなのに漫画書いてる訳ですから。しかも、一定のクオリティで。

 あるブログで『本好きの下剋上』のレビューをしていて「自己目的が内在化されてる人は強いな」ということを書いてたと思うんですよ。説明すると、これはなろうの小説なんですが、主人公は「本が好きだから本のことになると頭が一杯になるしだから本のために生きる」と一貫していてブレないんですよね。そういうものを持っている人は強いし羨ましい、みたいなことを書いてたと思うんだけど。

 羨む気持ちは分かるけど、私は最近正直そういう人は「気持ち悪いな」と思う。狂ってると思うんですよね。浅田真央みたいな方が正常です。彼女はスケートはもう良いかなって思って距離を置くんだけど、距離を置いて「自分にはスケートが必要じゃね?」って思う訳です。その感じ方が私はまともだなって思うし、またスケートに入込過ぎると、やっぱり距離を取ろうかな…って思う気がする。宇多田ヒカルとかも同じ理由からまともだと思う。一度距離を置くってところが。

 私の考え方としては、あまりに没入し過ぎると、どこかで不完全燃焼を起こしてブレーキが掛かるものだと思うんですよ。燃え尽き症候群みたいな。あれを事前に警鐘を鳴らしてくる感覚があるんだと思う。集中力が30分しか続かないと言われているように物事への興味もどこかで普通途切れるのではないか、と。発達障害者はそういうブレーキが利きにくいけど、普通の人は観念的にブレーキを壊そうとする場合があると思う。労災的に壊されるのかもしれないが。

 だから、例えば中川翔子みたいに「サブカル最高」って四六時中叫んでいるように見える人はおかしいと思う。まぁ、母親の操り人形説とか聞くと表面的なものは演技なのかなと思うんだけど。それでもそういうキャラを続けていくことで壊れそうで見ていて怖いんですよね。

 私から見ると四六時中同じ問題に対して没頭できるというのは、どこか心がおかしくなってるんで注意した方が良いと思う。そして、それを羨ましいと思うべきでは無い。そうなろうとすることは無理をすることになるので、狂っていく原因になると思う。少なくとも無理に好きになろうと努力したりすることは控えた方が良いんじゃないかな。勉強もそうだけど一日に16時間も毎日勉強ってのは頭がおかしくなりそうだった、という人がいたんだけど、実際そういう無茶をして頭がおかしくなる人もいるんだろうと思う。

 人間は機械じゃないので、機械的なアクションをあまりに自分に求めるべきでは無い。人材という言い方や人の働き方が人間を機械的に扱うことが都合が良いのだと訴えて、それに合わせることを求められてるだけで、本来、それは無理な挙動だと思う。だから、普通、適当に手を抜いたり息を抜いたりする訳である。

 エンターテイメントとか私はこんなに楽しいキャラなんですとかね。あれはリアリティ無いですよ。そういう人間になりたいと思えば麻薬をキメて快楽物質漬けになる、とか、そういう風な方向に行っちゃうと思う。ランナーズハイを味わいたいから走り続けるとか。ランニングも度が過ぎると身体を壊すらしいですし。運動に過剰にのめり込むのは麻薬にのめり込むのと同じ。

 人間には生理的な波があるってことを自覚しておいた方が良い。どんなに美味しい食べ物も食べ過ぎたら「もう二度と喰わない」とさえ思う訳で、度を越えた過剰な摂取は身体が反発する。社会的な観念やイメージを先行させて、その身体の信号を無視すると狂うと思う。私はそういうものを乗り越えようとは思わない。やる気が無いので(苦笑)

 それで小説の話ですが、書くべきことが無いんですよね。「じゃあ、書かなくていいじゃん」と思う。書き続けるには義務感が必要になる。けど小説を書きたいと思うのは、義務を果たしたいからじゃ無くて自由にしたいからですよね。でも、自由にしたいと思って書いてみたらあらら書くことなんて無いという(苦笑)だから、エターナりました。

 多分、ある程度書くことに慣れないとダメなんですね。自分の中に型が出来て初めて創作を楽しめるんだろうと思う。慣れないと味わえないんですよ、きっと。無から有を生み出したいと思うからダメなのであって、お話のテンプレが必要だという話で。著作権問題が色々言われていますが、あぁいうのも文化を抑圧する結果にしかならないと思う。創作はパクってナンボだと思うので。

 児童ポルノ法なんかも児童に「責任能力があれば裸体を晒しても良い」と私は思うけど子供に責任能力を求めることはあまり期待出来ないから、という理由から法的に縛ることに納得できると思う。幼い頃の自身の写真とか誰の許可を得て撮ってるの?と親を訴えたい。

 ロリコン死ねというような感情論は論外。仮に児童の裸を商業的に利用してもそれほど子供を狙った犯罪が増えるとは思っていない…と言い切ることは難しいか。見たら欲しくなるという欲を煽るかもしれない。小中学校の教師の盗撮犯罪じゃないが。

 風俗を縛れば寧ろ性犯罪は増えるだろうというのと同じ理屈。子供を守りたいんじゃなくて子供の性を隠したいだけのような気もする。純粋なものが穢れるのが許されないみたいな。手が出せなければ欲しいと思う人間は増える。業の深い話。

 この話の流れで言うと、例えば「少年法なんか要らない」と叫ぶのは子供に責任能力を求めることだが、私の理屈で言うと、それは子供の自己責任だから「大人がどう利用しても構わない」という方向になり兼ねないと思う。既にアイドルなんかは十分そうなってると思うが。児童ポルノ法をやるならその辺も法的に規制すべきだろう。でなければ子供を守るなんていうのは多分建前である。ヘリウムガスを吸って意識を失った少女とかは例に挙げやすいが。そもそも子供を利用しなけりゃあんなことは起きないので。そこを矛盾させることは私としては良く無いと思う。筋が通らない。引用じゃ無く脱線部分なので小文字にします。

 ニコニコ動画のMADとか好きだったんですよね。基本的にはあんな感じだと思う。文化の抑圧は資本主義の都合ですよね。パクリを否定する理由にはならない。良い印象が無いってだけで基本パクるってことは重要だと思っているので。模倣・模写・投影などと言っても良い。最初は何もかも真似て覚えていくので、そこを罪悪感で縛るとどうなるかってのは明らかだと思う。サブカルチャーを殺すと日本の文化を壊すと思う。多様性潔癖症で殺菌して殺している。パクリ=いけないことという認識が表面的に正しそうだからイケないんだなーと思う。表面的な正当性がより重要なものを隠す。

 まぁ「オープンソースの方が発展しやすい」みたいな話ですね。確実に換気は悪くなると思う。アニメ動画の利用や配信が規制されて、あるいは音楽の配信が規制されてニコニコ動画が衰退したと私は思っているけど、そういうものを許容してアニメなんかは寧ろ安価でDVDやデータを売ったら良いと思う。TV自体生活スタイルに合わないんだからネットで見て貰った方が良い。それが犯罪でしかもDVDを高価で売るから需要が無くて高くせざるを得ないし、他所に流されると高価なDVDを買う意味が無くなる。安価ならデータとしてお金を払ってコレクションしときたいという人は多いと思う。

 立ち読みは認めた方が良いと私は思うわけで。ジャンプとかならコミックスとかで元を取れば良い。半端な体験版や数ページのお試し読みなんてのは、あまりあてにならず、結局ギャンブルだと思う。そういう賭けごとはしないし、だから売れない。だから、評判が立たなきゃ売れなくなる。

 バン〇ムの問題もそうだけどユーザーの目線に立ててない。数字だけ見てると言われる訳で。手触りの感覚を失ってるから、安易にDLCを乱発して信用を失っていると言われる。多分、政治目線なんですよ。マーケティングがどうとか、統計がどうとか、数字がどうとか言って誤魔化してる。そして、その分析が知識が半端で稚拙なんだと思う。短気的な利益しか見えていないように見える。期待外れを連発すると客が離れる。今でさえ前評判を確認するため購入を躊躇う層は確実に出ているだろう。自覚した頃には遅い。別に面白いゲームを作れと言ってるのじゃ無くて(諦めている気がするが)、阿漕な商法が見え透いていることに嫌悪するだけ。

 ワ〇ミやス〇屋も本質的に同じ。人材を削れば利益はそりゃ出るだろうけど、それは短期的な利益を見ているだけに過ぎない。だから長期的にはマイナスになる。人材を使い潰せばブラック認定され人が寄り付かなくなり更にコストが嵩むようになる。計算が単純過ぎて頭が悪いと私は感じる。人間が見えていない。働いている人間を見下しているんじゃないのかな。コンビニの店員とか誰でも出来る仕事ですって。だから辞めたら頭を付け替えれば良いだけだと。だから人間じゃ無い部品だと見下して軽視してるから、そこから問題が出てきたんじゃないのかな。アップルの記事が出ていたけど優秀な人材が流出しているらしい。会社は内部にいる人間と外部にいる顧客、両方の人間をもっとよく見ないといけない。人材なんていう言い方が良く無いんだろう。それで即戦力が欲しいなんて言ってる訳だし。

 数字だけ見ているからリストラで重要な社員を切り捨てて内部を崩壊させたり、良質な顧客に逃げられたりする。そういう経営は株取引なんかとは別だろうと思う。いや株取引だって現実の変化に対する敏感さは重要なんだろうと思うが…。マク〇ナルドも同じでやってるのは数字の帳尻を合わせているだけに見える。マネーゲームでもしてるつもりなのかな。それは簡単な仕事だろう。だから顧客からの信頼とか現場の管理とか直接数字に表れない大切な見えない部分を見落とす。何か認識が欠けてるんだと思う。

 私とかのユーザーは何でそんな簡単なことが分からない訳?と散々ツッコミを入れる訳である。私が分かっていないだけなのかもしれないのだが(苦笑)

 信用とか信頼とか人情やら何か昭和っぽい古い価値観な気がするけど、そういうの廃れたんですかね?というか、またタイトルと違う話になってるな…。