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LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の適当な日々の考察と日記

『忘却の整理学』メモ・感想

106ページ付近を読んでいる。

A stopped oven burns the hotter.

を外山さんは、カマドのふたをあけておくより、閉じておいた方が、火は勢いよく燃える、の意味である。

という。私は「オーブンを温め過ぎちゃダメ」と訳すが。ちゃんと訳せるだろう?と偉ぶりたい。低レベルめと言われようとも(苦笑)こういう小さなことで「ちゃんとできたね」と褒めてくれても良いんですよ(笑)出来て当たり前と言わずに。

 まぁいいや。「要は何事も心に溜め込むと無理が生じる」というのである。良く分かる。だから、気晴らしをして換気しましょう、という話なんですよね。例えば恨みなどをため込んで殺人事件が起こる、という例を挙げています。そうまでいかなくとも箱の中に詰め込まれて不満を溜め込むと、それはイジメの温床になるんだと思うんですね。私にとっては学校や家庭がそれだった。

 そういう溜まった鬱憤は「別の何かで晴らされなきゃ」という訳です。人間ストレスに耐え続けるのは難しいです。引きこもりとかは本来引き籠ってない方が良いんですよ。引き籠って家族から嫌悪感情をぶつけられて身を狭くするってエンドレスな流れは不味いです。まぁ、ネットに繋げれば、そこが換気口になるのかもしれないんだけど。同じことだけど引き籠らされている場所が学校でも会社でも同じことです。逃げられない場所に閉じ込められてストレスを加えられ続けたら「切れ」ます。そうなる前に何とか身を離した方が良い。

 生活保護者がパチンコやってるとか酒ばかり飲んでるとか言うじゃないですか。それは鬱憤を晴らす場所が必要だったんでしょう。社会的に蔑視されがちなので。抑圧されるんですね。何もすることが無くても抑圧されるのかもですが。だから彼らにパチンコを辞めさせると別の問題が生じる可能性もある。

 別の楽しみがありゃ良いんですけどね。そういう意味では酒・たばこ・賭博じゃなくてアニメ・漫画・ゲームみたいな昨今の若者の方が無害だと思う今日この頃。じっとしていろ、っていうのはやってみると分かりますが、中々キツイですよね。ネトウヨなんかも凡そこの手の人たちなのかもしれないです。彼らが暴力的になるように感情の捌け口→暴力に転嫁されやすいと思う。駄々を捏ねたいんだと思うんですけどね。

 小説を書く目的なんかを聞くと「自分がその世界を好き放題できるから」っていう人がいるみたいなんですけど。要は色々な理解をすっ飛ばして好き放題にしてやりたい→蹂躙ってことかな、と。ネットゲームで気楽に遊びたいという人の中に「何も考えず」という層がいる訳ですが、そういう人に対する批判は「何も調べず、理解せず、知ろうともせずにゲームを遊べる訳無いでしょ」というんですが。思うに、それでもその我儘を通したいんですよ。

 その結果、その行動っていうのは癇癪みたいなものになりやすい、というイメージを持つ。将棋のルールを知らなきゃ勝てるはず無いんですが、それでも勝ってエクスタシーを得たいからイカサマするんですよね。ルールを学んで経験を積んでっていう本来必要なはずの工程を無視して(苦笑)「適当な手順を踏むのを何らかの理由から躊躇ってショートカットしようと無理矢理通ろうとする」ってのが、要は馬鹿な真似に繋がるんだろうと。過程と結果の流れを理解することを放棄するから、結果も間違うことが多いという。

 無知で慎重さに欠けて、その上愚かなんですよ(辛辣)疑問に思ったらググる程度の手間さえ嫌がる。知識恐怖というか学習恐怖というかそういう感じなのかもしれない。そういうのは気持ちは分かるんだけど、何というべきか…実体験に置き換えるなら「100遍繰り返してもお前には無理」って言われちゃうと思う。それで「なんで?」って考えずに「グワァァ!」って発狂しちゃったら詰みですよ。

 多分、問題提起能力に乏しいんだと思う。知る以前に何が問題なのか分からない。何が問題なのか知る能力も無い。みたいな。

 だから「なんで?」って考えたくないから「発狂」するんだろうけど。考えたくないのは多分、自分には無理だと確信してたりするからかな??自分の足りなさと向き合うのが生理的に無理みたいな。まぁ、なんか分からないけども。

 外山さんは鬱憤が溜まってしまったら「信頼できる人に話してガス抜きをする」というのだけれど、そういう人がいない人もやはりいるんですよね。ちゃんと指摘されていますが。この人とはシンパシーを感じるなーと密かに思っています。書いてることが経験に基づいていて分かり易い、と思う。