LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の適当な日々の考察と日記

書くことと吐き出すこと

 猫の名前はなぜDQNネームになり難いのだろう…。まぁ、ミーハーな理由で付けるから人間の名前がDQNになりやすいのかなと思うのだけど。可愛いから、とかね。雛(ひな)と名付けられた子供が老人になっても雛のままなのか…とか私などは心の中でツッコミを入れている。親から名付けられた名は幼名としておいて後年一度くらいは自主的に変更出来ても良いと思う。とは言え、私なら何と名付けるかと考えても上手い名は出ないのだが。

 ちなみに、私は自分の名前が嫌いで、自分の名前よりは暗証番号の方が愛着があるくらいである。だからといって代案があるかといえば考え付くことが出来ない。HNの風鈴で良いかと言えば、現実にそれは厳しかろう(苦笑)

 『忘却の整理学』の話であるが、負の感情をどこかで吐き出さなければ心穏やかに居られないのが人情だという。まぁ、だから陰口などが無くならないのかと思うのだが。そういう持て余す感情をどこかへ発散せねばならないという。腹に据えかねるというような話だろう。私的には書く行為がそれにあたるだろう。話せる友がいれば良いと言うが、いない時には日記にでもしたためれば良い。閻魔帳みたいなものが出来上がりそうだが…(汗)内容によっては友人に話すというのも考え物だろうから。それこそ、腹に据えかねたことを気兼ねなく話せる友に話すという行為が陰口になる場合があるのだろうから。

 それが姑息だというので当人に言うというのも考え物である。事によってはその人を傷つけてイジメになる。話せば分かると思う前提が人をこの手の行為に及ばせるのだろう。だが前提は場合によるから、その行動が常に功を奏すとは言えない。良く無さそうなら日記にでも書いとけと思うし、ブログ等に書くのなら特定できないように書くのが良いだろう。結局、自分の心を調整するためにやるのなら、態々、他人に迷惑をかける必要は無い。勿論、ハラスメントなど、それが問題解決の必要な物事であるなら他人を巻き込む必要も出てくるだろう。