LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の適当な日々の考察と日記

孟母三遷

若干メモ

孟母三遷(もうぼさんせん)

孟母三遷 故事

孟子の母が、わが子の教育に環境の悪い影響が及ぶのを避けるため、墓地のそばから市場のそばへ、さらに学校のそばへと三度住居を移した故事から。

                                                            goo辞書から引用

 子供の知能の親の遺伝子による影響を5割と考え大きくて8割と考えるデータがあるとかいう話を読んだ。それがどうなのかは分からないが。努力神話は私の中では崩壊しているが、世間的にどうなのかは分からない。私自身ほぼ隠者みたいなものなので(苦笑)「蛙の子は蛙」というような話である。それでも2~5割は他の影響が割り込んでくる。

 遺伝子異常とか、環境的要因とか、まぁ何某かだろう。良いとこ生まれのダメな子もいるし、悪いとこ生まれのいい子もいるという話である。努力が全てじゃないにしても「結局生まれが全てか」と諦めること自体も勘定に入ってると思うが。とは言え、若い頃には子供なのであまり賢明じゃない。「少年老い易く学成り難し」という訳である。だから、本人の理性云々よりは周りに影響される。私も子供の頃は今よりずっと愚かだった気がする。子供に自己責任を求めるのは酷であり、責任が取れる頭が付いて来るときにはれっきとした差が生じてしまっているような気がする。まぁ、過去に戻れたら勉強するのにと言ってる大人をよく見るが多分戻れても勉強しない気がする。私は二度と学校などに通いたくは無いし。

 孟母三遷(もうぼさんせん)という話だが、秋葉原事件の犯人が死刑確定したというニュースを聞いたが、彼というのはこの良い例かなと思った。彼の母親は子供の教育には環境が大切だと思い自分の思う(誤った)教育を彼に施した。結果として抑圧され続けた彼は心を病んで成長し事件に至る。

 孟母三遷は結構だが、親の思い込んだ良い環境そのものが間違っている可能性に気付かないのは滑稽だ。起こったことは悲劇に違いないが斜に構えるなら喜劇だとも呼べる。言い方は悪いが、遺伝+親も大概愚物であったりするので、その親が孟母三遷と思っても碌な結果を産まなかったりする。その親が更に教育を失敗すれば「子供の仕出かしたことはそいつの自己責任だ」と言ったりする訳である。良いことは連鎖するし悪いことも連鎖するのが大体世の中の仕様だと思う。

 私的には「すばらしい新世界」とか漫画版「風の谷のナウシカ」のように、人の遺伝子を弄って賢明な人間を作り出した方が良いと思う。犬なんかはそうやって人間の都合よい形で生まれてくる訳だし。まぁ、人為的な都合は浅慮なので犬は可愛さを優先するばかり身体が生存に適さなくなって雑種が一番強いと言われるくらいなので所詮理想論なのかもしれないが。

 既にダウン症児は中絶されることが多いようだし、選別は明らかにされているように思える。障害者ばかりいても困るのが現実なので仕方ないと思う。生まれて来たものや中途で障害を負った者は「仕方ないから」情けをかけるというのが実情かな、と思う。実際、障害者が溢れていては面倒を見切れないのだから。

 だから、なるべくリスクを減らすように配慮しなければならない訳で。私はアナーキストじゃないので人為的に手をかけないと世の中は良くならないと思っている。というか自由にさせた結果、国や法が求められたというべきなのかもしれないが。まぁ、我がことながら発達障害は少なくなった方が良い。

 稀に砂金が混じるからと言ってサヴァンやら発達障害やらに頼ろうというのはリスキーだと思う。希望を持たせようとして一縷の望みとやらで言ってるだけなら兎も角、多くても良いことはそんなに無いと思う。あくまでも普通の人の社会なのだから普通の人が主導で社会を発展させるのがよい。少なくとも私に他人の心配をしていられるだけの甲斐性は無い。そんな狭量な人ばかりでは困るはずだから。

 障害は無ければ良かったと思う。そもそも障害の無い自分を想像するのは難しいことだが。所詮人生は塞翁が馬だとは思うが、コミュニケーションの障害やら想像力の欠陥やらというのはやはりかなり一個人の人生にとって沈痛であるように思われる。この障害で寂しい思いをして欲しくは無い。虐げられれば性格の歪みの原因にもなる。

 NHKで犯罪者の特集がされていたようだが閉じ込められるにしても、もう少し人権に配慮したらどうかと思う。私も時代が違えば閉じ込められていただろう。精神障がい者や知的障がい者と一緒くたにされて。昔は実際障害者は閉じ込められていたケースもあった訳だし。だから私は犯罪者に対しても一定の同情の余地を認める。

 あまりに鬱積が溜まるような環境に置かれては更生の余地も無いのでは。表面的に態度を取り繕うだけで終わりそうだ。行動療法的に正すなりダメならそのまま閉じ込めるなりしておけば?と思う。終身刑で閉じ込めるにせよ、あれはどうも閉じ込める環境では無いと感じた。マイナス気温の中で暖房も付けないというのはホントなら行き過ぎてる。

 ワープアの人なんかが非難するけど、それはそれだと思う。自分の生活と同列に比べない方が良い。別件である。ワープアの生活水準が低すぎなのだと思う。それはそっちで政治的に整えるしかないような。老人なら収入の無い世帯の介護が必要な老人を社会の中でどう負担して引き受けるか、とかいう問題とかあるんだろうし。

 結局は社会問題である以上、いつまでも放置して置くわけにもいかないだろう。

 老人は死ね・犯罪者も死ねと言われれば、障害者も死ねと言われるのがオチだろう。順々に回ってくるだけだ、とどこかで金言を聞いた気がする。ISI〇とか割と近そうな対岸の火事を放っておく決断をすると次は我が身となるかも…というような話でありまして。それはそれで、まぁ、野垂れ死にじゃなくて安楽死する権利くらいは欲しいものだが…。

 「情けは人の為ならず」という話ですね。久しぶりにこの言葉を鑑みた気がしますが。情けをかければいつかは自分のところに回ってくるかもしれない、という話なのです。逆もまた然り。自分だけ安全圏に逃げ込んで高みの見物を決め込めば良いと考える人が多いような気が心持ちしたりしなかったりするわけです。

 無宗教って良いように扱われてますけど、良いことばかりじゃないですよね。ドストエフスキーの小説でロシア人が他人にかける情けが宗教的な信心によるものだが良いものだ、みたいな話を書いてますけど。良し悪しかな、と。

・生理休暇

 なんか、ふと、女性の生理が人によってはかなり厳しいという話があって、じゃあ休めばいいじゃん、と思ったら、こんな休暇があった、という話なんですが。ネットで調べると「だから女は使えない」みたいな女性非難に当たるので、どうもあまり広まっていないし、理解も得られていない話のようで。有給休暇と同じような状態かな。

 いや、でも私としては「休めよ」って思うんですけど。風邪で出社してきて迷惑蒙るより「休めよ」って思うみたいな話で。頑張って来てる感じとか要らないので。まぁ、あまり社会的な理解が及んでいない分野なんだろう。「主婦に給料出せ」と言うよりは「生理の時くらい休ませろ」と言う方が先なんじゃないだろうか…という気がする…。そういう話を私は聞いたこと無かったので。女性の生理の重さに差異があるので重い人とそうでない人で足を引っ張り合っていたりするのかもしれないが…。「平等じゃない!」っていうやつですね…。まぁスタート地点の不平等こそリアルだと思うんですけどね。

 優秀な人ほど仕事に追われるらしく恵まれて生まれたらそれはそれで苦労があるのかもしれないな…と思ったりします。医者なんかは学び続けなければならなかったり、とか。妙にプライドが高いから努力をし続けないと気が済まないとか。押し付けられて誰かやらなきゃイケなくて自分しかやれる人いないとか…。能力高い人はそれはそれで苦労してるかもしれない、という可能性を考えてみても良い。逆っぽい人もいるけどさ。全然、平等じゃないっすよ。

 このお医者さんなんかは定年過ぎてるけど患者さんを見捨てられないから動けなくなるまで働くんだろうな…とか。まぁ、それが生き甲斐なのかもしれないんだけど。

 なんだったか…高度プロフェッショナル労働制度とかいうツッコミたいような名称の法案が出てましたけど、生真面目な人はあれで仕事に押し潰されて死ぬような気がしないでも無いです。仕事ってのは押し付けられるものだと聞き及び、如何に上手いこと積まれるのを避けるかが重要だと教授されたことがあるんですが。

 13時間拘束可とか言うけど「それ8時間にしとけよ」と思うし。私は休憩時間含めて拘束時間を8時間にするべきなんだと思うんですけどね~…。これを「甘え」というのが現代日本社会の標準的考え方なのだろうか…と思いつつ。それに世論が同調してる間は実働時間的に楽になる余地が無いから周囲との同調圧力の掛け合いで自分で自分の首を絞め続けるだけだと思うけど…。

 ギリシャの極端な例を持ち出して働かなきゃ二の舞になると思ったりとか。私も適当を言ってるので本当にそうなるのかは分からないんだけど。ギリシャの例で出てた労働時間は確かにブルジョワジーな香りがしたりして極端だとしても日本は日本でWHOとかに指摘されるくらい対極っぽい訳ですし。そこんとこはスルーなのかな?と思ったり…。

 仕事場への距離とか普通に1時間くらいかかるだろうし、仕事が10時間拘束されるとしたら、それだけで12時間拘束される訳じゃないですか。女性ならここに化粧なんかも入るし、男性でも身支度の時間を入れても良い。

 まぁ、13時間拘束して良いとなると15時間拘束される訳で、8時間寝るとしたら1時間しか自由時間無いですし、1時間じゃ風呂と食事取って寝るだけが精々ですよね。心を休めるのは何時なの?っていう感想なので…。私は少なくとも一日に心の整理をする時間が随分と必要なので隙間なく時間を潰して生きるってのは無理だと思う。

 「私はマグロなんです」とかいう人がたまにいるけども常時動き回ってる人ってのは病気ですからね…。さ〇まさんとかも何か自分で自称されてるくらいですし。ちょっと休暇でも取ってこいと言ってあげたい。私もある人が言うにはストップボタン押してくれる人が必要らしいんですが…。発達障害者には多いですよ、きっと。マグロ。まぁ、マグロだってそんな速く泳いでる訳じゃないって最近言われてるらしいですし。若干、感受性が低い方かと勘違いしたこともあるんですが。両方いるっちゃいるだろうけどね。

 「仕事してる時以外、気分が沈むから寝る時以外仕事してる」って自称してる人もいたし…。あぁいうのは良く無いですよ。経済的に良いのだとしても。防衛大や自衛隊の体育会系の悪習みたいなものが、やはり民間会社にも多少なりあるんだろうと思うんですよね。それで自浄作用が働かないっていう。歴史的にやっぱり昭和の価値観を引きずってるんだろうから。

 ちなみに私は少なくとも寝入るまでに1時間は掛かるから風呂も食事も抜きなのだろうか…。睡眠を減らしても長期的に見るとダメな気がする。私からしたら一日の平日の時間割は仕事8・就寝8・自由時間8で丁度いいじゃないかと思うんですけどね…。なぜに自由時間を0にしようと思うのか。