LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の適当な日々の考察と日記

教育法の誤解

人を動かす

やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、

ほめてやらねば、人は動かじ。

あるいは、

やって見せて、言って聞かせて、やらせて見て、

ほめてやらねば、人は動かず。

【有名なこの言葉には次のような続きがあります。】

話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。

やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。

山本五十六名言集 http://www.ym56.net/meigen.html

 子供の教育を間違えた、というスレッドを見て、自分なりに考えてみたことを書こうと思う。長男の教育を間違えたそうである。要は放任した、と。読んでいくと色々手を尽くしたという。書かれている部分では「世間一般で言われるようなことは試してみた」というのである。私の感想としては、恐らくこの人は一度や二度「世間一般で言われるようなことを試して」ダメだからと諦めることを繰り返したのだろう。この長男はそういう親の錯綜に振り回されただけだろう。

 次男が大学にいって就職できたから「熾烈に言い聞かせるのが良かったのだ」と言うのだが、それは間違いだろう。上手く行った原因が他にあるのだろうと他の者は指摘している。この家族全員に鬱病やら発達障害の疑いが多少持たれると言うが、そんなに基準が曖昧だったのだろうか。発達障害のテストは割と極端なグラフの結果を必要とする。

 仮に発達障害の傾向があるとして、やはり「勉強しなさい」と言い聞かせただけで行動することは無いように思う。他の人が指摘しているように、家庭教師を付けるか、自分が勉強に付き合うかして手取り足取りしなければやらないかもしれない。「無理矢理させる」という言葉を使っているが極端に走りやすいことを言う。

 嫌いな野菜を食べさせるために工夫して美味しい料理に仕立てあげて食べさせる。そのようなことを同じくすれば良いのに「無理矢理」という言葉が出る。好き嫌いもそうだが無理矢理食べさせられたものを私は大人になってから喰べる気にならない。受け入れられるレベルを探るという考えは持てないのか。

 親の教育のせいだ、というとこのスレ主は「そうですね」と短く返すのであるが開き直りである。責任を認めたフリをして、それ以上に考慮する余地は無いと突っぱねている気がする。責任を否定すれば非難されて苦しみ表面的にでも認めれば楽になれると分かっているから直ぐに認める。それが「大人の対応」だと言われている訳だが「大人の対応」というのも悪習だろう。「どうすれば良かったのか」とスレッドを挙げておきながら探求する気は既に無い。

 孔子曰く、過ちて改めざる是を過ちという

 意味は、知っていて尚改めないということらしいが、現代では「しらばっくれること」である。言語化する以前の状態でスルーすれば罪悪感も感じないで済む。「改める」というのは言うほど容易くは無い。日本社会を見ていれば分かる話だが。個人は社会の縮図であり、逆もまた然りである。改めるより死を選ぶ人も多い。韓国社会を見ても分かるだろうが、人間は自分の非を認めるということが中々難しい。このスレ主も表面上認めておけば波風が立たないと思っているだけに思える。それは改めないことの表明と認めていないことを認めるのと同じである。

 私的にはISのYさんの父親の言い方も之にあたる。波風を立てたくないから「自分のせいにして頭を下げる」それが美徳と言われた時代があった。まぁ、その実、心から問題を受け止めていないだろうと私は思う。私はそういう人とはあまり関わりたくはない。面倒臭いからである。分かり易い馬鹿の方が分かり易い分楽かもしれない。追記するが、分かり難い馬鹿というのは自分で見ても分かり難いので自分が馬鹿だと気付くこと自体を難しくしている。自分の心に嘘を吐くと自分でも何が本当なのか分からなくなる、と指摘しておきたい。脳味噌の操縦技術もやはりそれぞれだと言う他あるまい。

 スレ主は非常に既視感を覚える人だと思う(苦笑)こういうタイプの人が多いのだろう。自分は普通だと思っている親である。自分たちは努力していると主張する親である。但し結果は伴わない。無知であるから。「自分たちが死んだら長男もやる気が出るかもしれない」なんてことをよく言うと思う。残された後の長男の人生のことは考えていないのかもしれない。

 発達障害を疑って傾向を指摘されて尚、発達障害が何かということを知ろうと努めなかったのではないか。危機的状況において奮起するだろうか?まともじゃなければ博打であると思わないのか。こういう人は常に博打を打ってるだけなのかもしれないが…。それで犯罪にでも走ったらどうするつもりなのか。まぁ、長男のせいだと言われて終わるだろう。秋葉原事件も母親の責任は問われなかったのだから。遡って責があると思われるなら親は子の罪を折半して受けるべきなのかもしれない。まぁ、ますます少子化に拍車を掛ける案だろうけど。

 自分が死ねば罪は購えると思うのか。死ねば自分は関係無いとやはり開き直れるのか。この人は長男のことをやはり荷物くらいにしか考えて無いのだろう。本人が変われば、と思っているが、こういうのは家族全体の意識を革命しないとダメなのかもしれない。それか生活保護を受けさせて外で暮らさせた方が長男にとって平和なのでは…。

 良い指摘は「相手の気持ちを汲み取って対応したのですか?」というものである。アスペルガーの動物学者の女性は、かなりユニークな教育を親から受けて成功している。世間一般の常識は通用しないので個別に個性に併せて対応した結果である。多分、アメリカだと思うがアメリカでもこういう教育を出来る人は少ないのかもしれない。確か、この学者は自分は恵まれていた、と述懐していたと思う。

 スレ主はアラ還だというので、教育の失敗を考えるにしても、時代的に考えても発達障害というものが周知されていた時代では無かったことを考慮する必要がある。当然、義務教育も関わってくる訳であるし。私の知る限りでは1999年辺りにやっと日の目を見てきたような気がする。そういう人は普通教育では付いて行けないだろう。今では自分がコミュ症だと思えばアスペか発達障害かと揶揄されるようだが、昔はそんな言葉も無かった。だから、その頃は知的障がいが馬鹿のレッテルにされたと思う。

 そんな訳で個人も発達障害を疑うということが出来ない訳である。知らなければ疑うことは容易ではない。耳が聴こえないとか目が見えないというのであれば分かり易いのだが。発達障害は分かり難いために愚者・変わり者とされることが多い。大人は自らの常識の範疇に子供を入れようとするので誤ちを犯す。私個人としては自ら調べることにかなり時間を費やしたし、その間にも時は流れるのだから青春なんてものは置いてけぼりである。

 私は他人が勉強している間に自分の欠陥が何に兆しているのかを探し当てる作業に苦労していたので、やはり世間には置いていかれた訳である。とういうか自分の違和感にしか興味が無かったというか…(苦笑)普通の人は既にレールが何かしらあるので。若者の初体験の年齢の統計を見たが、あの手の統計は自分とは関係無い訳である。7割とか8割とかいう数字の中に障害を持つ自分が入る可能性はかなり低いのでは。その7割とか8割の性交経験の数字は「普通」な訳だが、私はそこに大概入れない訳である。特に女性なら猶更かもしれないが。

 発達障害者は100人に1人とか200人に1人とか言われると思ったが、要は人口の1%くらいのマイノリティなのでこういう統計の「普通」の中に入ろうというのは割と儚い希望だと思う。5%と言われる数字も見たことがあるが、それは多すぎる気もする。ちなみに老人の割合は4人に1人らしい。

 ただ、ここに学習障害とかADHDとか性同一性障害とかパーソナリティ障害とか、他の身体障害や知的障がい者が入ったらそこそこの数になるんじゃ…とか思うと「普通」って価値観は強ち間違いじゃないし「羨ましいな~」と思ってしまうなぁとか。普通の恋愛とかまず無理なので。モテるモテない以前に「相手と会話が成立しない」というのは悲劇だと思う。それでどうやって好感度を上げろというのか…(苦笑)ちなみに自分との会話も割と成立していないんじゃないかと思う。

 普通教育は本人の学習の進行度に併せてはくれないから、知的障がい者が普通学級に入れば大体勉強に置いていかれて理解出来ないことになる。発達障害者も同じく個人的な偏りがある可能性が高い。そもそもLDを併発している可能性も考慮される。そういう人に対して「勉強しろ」と言い続けてどうにかなるものでもない。勉強してもせいぜい掛け算までしか出来なかったという人もいる。

 私的に思うところでは、それで勉強するのは本人が利発だからである。私は自発的に学習しようとしたが、数学の文章題など意味を取ることが出来なかった記憶がある。そういう能力的な躓きに一々考慮してくれる周囲の人は当時一人もいなかった記憶がある。