LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の適当な日々の考察と日記

ゆとり的な考えなのかも

川崎市の殺人事件で、少年法がどうのと言っているけれど、私はそういうものの見え方を少し危ぶむ。凶悪犯罪が増えたというけれど、犯罪は過去と比べ減少しているはずである。川崎市の事件は単なる模倣殺人だろう。見た目の凄惨さに惑わされている気がする。また、こうした事件が連続したという訳でも無いのに少年法という全体を規制しようという発言は単に口が滑っているに任せているように思える。

殺意の有無は明らかではないが、この殺人の方法自体が遊びに思える。「子供は残酷である」というのを思い浮かべるが、未成熟だから残酷な方法で殺せるという部分がある気がする。相手に殺意があれば一息に殺す方法を考える。凌辱するのは殺意からくる行動じゃ無いからであるような気がする。殺意じゃ無ければ何かと言えば、それは好奇心だろうか。まぁ、いっそ邪悪な気がするが。

この事件の犯人と目されている少年の動機は反抗であるように思える。自分より強い立場の者からのストレスを下位に位置付けるものへ当たり散らす。典型的なイジメである。そのエスカレートとしての殺害だろう。暴力には一応一線がある。羽目を外すか外さないかである。兄弟喧嘩も実力差が明らかなら暴力に相違ないが家庭内で一応収まるのは一線を引いているからであり、手加減を加えるからである。

女子プロレスの件でも同様の陰惨なものがあったが加減を知らずに振るう暴力は一線を越えてしまっている。個人的には噛み方を覚えて来なかった犬という感じで社会化の過程で失敗したのだろうと考える。まぁ、そもそも闘犬しかり暴力性は遺伝する可能性も高いように思われる。そういう性質が半端な知恵を得ると今回のケースのようになるというだけだろう。

子犬は凶暴であることが多いが、凶暴性は臆病さの裏返しとも思える。件の少年の話を聞くに内弁慶と評する者がいるが自分より下位の相手に何をしても良いと思い込むのは、かつての体育会系そのもののように思える…。あるいは家父長制だろうか?彼の父親が亭主関白的な人間だったのかもしれない。まぁ見た目だけの偏見だが。彼が反省したポーズをとっても大人という上位の存在に対する恐怖から来るポーズで一時しのぎにやっているだけで見下せる者がいればまた同じ態度をとって憂さを晴らそうとするんじゃないかという気がする。

だから「少年法で裁いても無駄だ」と思うかもしれないが、私は少年法で裁くのが妥当だと思う。客観的に見てこの犯罪は派手だが上述したように常軌を逸している訳では無いとも思う。そこには人間らしい愚かさが垣間見える。そういう意味で特に特別視するべき事件だとは思えない。

逆に問題なのは横行する私刑であり、法治国家であるのなら、私刑は別途、裁かれるべきだろう。裁判例では十分な「社会的制裁を受けたと考えられる」という言い方をする場合があるがその言い方も私刑を正当化している風に誤解させている気がする。本来、社会的制裁の代行が刑法であるように思うのだが。無論、それで罪を償えたとは思わないが。受けたのは罰であってそれは免罪符を得られる機会ではない。罰を受けたからと言って禊(みそぎ)(無かったこと)にはならないと思うのだが無かったことにできると考える人が多いように思われる。殺人以外はノーカンとでも言う気なのだろうか??過去は積み重ねられていくものであり、何れも無かったことにはならない。

罰は悔い改めるために与えられる痛みであって、それに学び二度と同じ過ちを繰り返さないことが本来期待されるところだろうと思うのだが…。