LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の適当な日々の考察と日記

刑務所が豪華でも良いと思うと言ってみたり

刑務所が受刑者が「そこから出るのが嫌だ」と言うような設備の整った場所だとして、そこから出さなくても問題が無いような循環を整えれば、わざわざ社会に出すことも無いのでは無いか。社会に出せばストレスから問題を起こし、犯罪に走ってしまうようであれば「出たくない」というような環境にいさせてやるのも良いだろうと思う。

ショーシャンクの空に』では刑務所から出ることこそ受刑者にとっての刑であるように描かれる部分があった。監獄の中の生活で安定していた人が外に出されることで適応できずに自殺してしまう。「野生動物を人飼いにした後に、野生に戻すことが難しい」ような感じだろうか。

世論は凶悪犯罪に対して罰(死刑)を与えることを是とする風潮が見られるけれども、本当に市民が望んでいることは自分たちが彼らの暴力に巻き込まれないことだと思う。「死刑にしろ」というのは再犯を恐れるからでもあるのでは。監視下に置くことがコスト上見合う循環が作れるなら、犯罪者を閉じ込めておけば良い。そこで大人しく生活できるのならそうさせるのが良い気がする。社会という環境に適応できない人もいるだろうから。

18歳の川崎市の少年が言ったとされる「法は関係無い」という言葉だが、そういう人もいるだろう。そういう人に法を犯す結果どうなるか説いても、馬の耳に念仏である。タバコが害悪であると言っても、やる人はやるのと同じである。結果を軽視するか無視してみないフリをして「今だけを生きる」とか言い出すのである。

「そういう人は一度痛い目を見れば懲りるだろう」と私は確信が持てない。

ただそういう人も生まれて来てしまうのが現実で、そういう人も含めた人権であるから、まともな人がそういう人たちの処遇を良く考えなければならない。問題なのは、そのまともな人たちが、自業自得だと切り捨ててしまう場合だろうと思う。

切り捨てて見ないフリをしても、現実は変わらないし、社会は良くはならない。そういう人たちも社会のシステムの中に位置付けなければ処理していけないのだと思う。発達障害で罪を犯した青年が裁判官に受け皿が無いからといって厳しい刑に処されていたような気がするが、そういう人たちの受け皿を一々作っていかないといけないのだろう。

そうじゃないと個人が負担に押し潰される中で事故やら事件やら犯罪が起きてくる訳で。

ちょっと話が違うかもしれないが「自由という刑」がある訳で。自由=良いことみたいに無責任に称揚される世の中は歪である。自由には責任が伴うから、責任能力の無い人は自由にした結果、碌でも無いことになる。社会的に碌でも無いことをしでかすのか、個人的に碌でも無い結果に陥るのか定かでは無いが、自己管理能力の無い人は自由というものを上手く行使できない。

そういう人の中には仕事人間とかネット中毒者とか色々いるんだろうと思うのだけれど。そういう本来なら管理が必要な人がいるのだろうけれど、自由を侵害するから出来ないみたいな。そういうのは「自由という刑」だろうと思ったりする。

飼い犬や飼い猫になりたいと思う人は少なからずいるだろう。それは不自由なはずなのに…である。