LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の適当な日々の考察と日記

多分、親の愛情が重要な訳では無い。

子供の心の発達において「両親の愛情が不可欠に重要なのだ」と主張する人がいた。

私もそこで「親の愛が足りないから、このような自分になったのだ」と考えることもあった。

けれど、最近思うに、要は居場所として家庭が重要なウェイトを占めるから「家庭がダメだとそこにいる人間もダメに染まってしまう…」と考える方が納得しやすい気がしてきた。

重要なのはではなく居場所であり居住者との関係性である。心理士と患者との理想の関係はラポール(信頼関係)が築けることであるという。まぁ発達障害者の私には無理そうな関係性の在り方である。

子供の頃の居場所は大抵、家庭か学校である。その何れかで居場所があれば子供には健全な成長の余地があると思われるが、何れでも関係が上手くいかないと、そこに居るストレスに耐えきれず上手く適応出来ないことになる。

居場所の重要性は、その場で良好な「対人関係が築けるか」ということに強く依存すると思う。動物でもストレスが高じると問題行動が発生していく。親の愛情云々は結局のところ「環境的に生育する要件を十分に満たし得るか」であるように思える。昔、シベリアンハスキーがブームになったが運動量や気候条件から飼いきれなくなる人が多く出たらしい。性教育もそうだが結局、自覚が足りないのであり、関連する教育が一つも施されて無いから発想も無いのである。

性教育と同時に子育てについても科学的な所見をまとめてセオリーを教えた方が良い。

「人間はペットと同じでは無い」と何度か言ったかもしれないが、所詮は動物でありペットの飼育に必要とされる要件は人間にも当て嵌まるだろうと思われる。アニマルライツという言葉があるように子供にも人権があり、それは実際に生活の中で保証されなければならない。要は、どんな動物であれ、その動物の適性にあった飼育環境を用意してやらないと適切に育たない。

その「ペットですら」という最低条件も満たせない・満たそうとしない言い訳として「人間はペットと同じでは無い」=から「放置でも大丈夫」というのは間違いでペット以上に(将来的に)役割を要求するのだから「ペット以上に気を遣って環境を整えてやらないといけない」のである。

その最低限を意識せずに子供を飼おうとするから飼えなくなる。そこを「親の愛」という抽象的な言葉で誤魔化すから誰もが訳が分からなくなるだけである。「何をしてあげたら良いのか」という基準が飼い主として判然としない。もう少し具体的な言葉で語られるべきだろう。

犬なら適正な食事と温度管理、室内の清掃やトイレの躾、定期的な散歩や遊びなどガイドラインがある程度あるのだろうが、人間に関してはどうなのだろう。

少なくとも犬猫に関しては少なからず飼い主が自覚的に面倒を見なければならない部分があって、それを満たしてやることは最低限の飼い主側の責任であると普通の飼い主は弁えている。愛情はそれ+@であり、私はそれが何だか分からず満たせてもいないのに、愛情だけが必要だと主張するのはすり替えであり間違いだと思う。少なくとも私のような人間は愛情を認識できなかったりするらしいし。じゃあ、どれだけ愛されても無駄だよね、と思ったりする。

逆に子供が愛せなくてもそれが適当に満たせているのであれば、適切に育てることができるのかもしれない。

どちらかといえば、それを明らかに明文化することが先んじて重要であり、愛情の有り無しは、それを満たすのに優先順位を考えれば譲ると思う訳である。