LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の適当な日々の考察と日記

親学なんて言葉があるんですね

池田信夫氏が左翼も大概だが右翼も大概であるというようなことを述べていたが「親学」の批判を見れば分かるかなと思う。ちょっと邪推してみよう。

「親学」を推奨している人たちは「自己肯定感が高く、周りも自分のように育つべきだ」と思っているのかもしれない。だから「自分の受けた教育は間違っていなかった」という経験論に基づいて「親学」を主張するのかも。

とりあえず一若者としては老人の戯言にしか聞こえないが…(苦笑)少なからず過去を美化する意識が作用しているように感じられる。自分の子供の頃は…というやつであるが、まぁ過去は大概美化されるし現実ときちんと比較することは困難であるような気がする。

それと彼らが優秀?なのは勉強やら政治的な能力?などであってモラルではない。モラルを測る尺度も無ければトレーニングも受けていないのだから、そこに知的薫陶みたいなものが無くて当たり前である。医師やカウンセラーには医療倫理が求められる訳だが…。まぁ、そこに映されているのは彼らにとっての現実認識だろう。自分たちは成功しているから、成功していない人間(データ)と比べて難癖を付けているだけに見える。社会人が「働いている自分は偉い」というのに似ている気がする。

その程度の何ら訓練されない認識でやっているので、発達障害を「親の愛情不足」などと失言する。単に知らなかっただけだろうが、知らないで言うということは「無責任に発言している」ということである。そこを糾弾されたから今度は「発達障害は例外」で他は「親の愛情不足」と言い出すのかもしれない。失言に至る根本原因が分かっていなければそうなる。

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉があるけれども、有識者を気取るのなら、歴史に学ぶ姿勢を学ばなければならない。歴史に学ぶというのは考証するということである。(私がこのブログでやっているように)既存の知識の偏見から口を開くことではない。彼らがどうも主観的経験に基づいて薀蓄を垂れている風に見えている時点で私的には民間療法的な胡散臭さを感じざるを得ない。疑似科学ということさえ微妙である。老人会の愚痴みたいに思えてしまうのは私だけだろうか…。

考えずに表面だけを見て適当に対応しようとする。やっていることはネトウヨとあまり変わらない。押し売りしようとしている時点で悪いが…。私が言えた義理ではないが感性だけで采配を振るってたら間違いなく失敗すると思う。

あるブログによると政治的な間違いの起こり方は、

「事件が起こる→マスコミが煽る→国民が騒ぐ→政治家が反応する」

という形で起こるそうである。第二次世界大戦もそういう風潮があったということをどこかで読んだ気がする。

真面目にやりたいなら「科学的な根拠に基づいたロジック」が必要なのであって「個人的感傷に基づいたロジック」を論理と呼称すべきではない。それは感想や意見のレベルかなと思う。