LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の適当な日々の考察と日記

FF11の話

私にとっては懐かしいゲームです。家庭用ゲーム機での初のMMORPGだったんじゃなかったかな…。

そろそろサービス終了が見えてきた、みたいな話で。

それでどんなストーリーだったか調べて見たんだけど、プロマシアのシナリオは結構共感するなぁと思ったり。プロマシアは神の一柱で、永遠の死を望んだらしいです。現世は悲しいことばかりで嫌や…ということらしい。

私も出来れば輪廻みたいのは遠慮して永遠に現世に呼びつけないで欲しいと思う人なので、プロマシアの気持ちはよく分かる。これに対して女神アルタナ?は生きることをポジティブに捉えているので、プロマシアを可哀相に思ったりしている、と。

そういう対立軸としての女神アルタナの存在は、私としてはどうでも良い。生か死かという二元論で綱引きをしたい訳では無いので。

何にせよ私はプロマシア肯定派だという話で。けれど永遠に死ぬという状態は想像し難い。というか主体が喪失しているのだから無理なのだろう。観測できないことが唯一正しい証明になる訳で。

リアルな話を言えば、私という意識が何の脈絡も無くこうして現代にある時点で、輪廻というものが、それが意識できないにせよ在ると考えるのが自然かなと思ったりする。その派生で前世もある/あった、と考えるのが自然な(憶測の)流れである。

プロマシアは神だからもしかすると永遠の死を望めば叶うのかもしれないし、ならそうすれば良いと思う。

ただ人間は望んでも叶わなさそうなので、アルタナ側に流れるのが良いのだろう、と思うかも。要するに生を肯定するという話である。

まぁ、それは良いんだけど。

逆に永遠に生き続けるという場合、これも永遠の死と同じ系列のように思えたりする。つまり、輪廻転生の否定・拒否だから。それもまた永遠の死というのと変わりは無い。基本的に引きこもり的な発想である。外に出ると哀しい目にしか遭わないので永遠に部屋というシェルターに閉じこもっていよう、という感じで。

輪廻転生も既得権益を失う可能性が高いから、なら今のままが永遠に続けば良いと思うとか、そんな感じな気がする。それもやはり損失の否定・拒否という意味で類型だと思う。

結局、生も死も根本は同じだというのが見えてくる気がする。未来が明るいなら良い、しかし暗いなら嫌だ、と。だから、アルタナもプロマシアも根は同一だと思う。言って欲しいことは苦しいことがあっても生きなきゃいけない、みたいなことだと思うが、残念ながら私はプロマシア肯定派なので。

だいたい「苦しいことがあっても生きなきゃいけない」と言ってる人自体が(割と)リア充だったりするんですよ(苦笑)末期癌で未来に希望は無いし恐ろしい苦しみだけがある。だから「もう後生だから殺してくれ」という状況にあった場合、私は殺してやるのが情だろうと思う人なので。殺さないまでも苦痛を取り除けてくれ、って話ですね。

この綱引きも、まぁ程度の問題だろうと思う。

その逃避に至ってしまう原因を取り除かない限りは話にならないんですよ。中東の自殺テロを止めようと思ったら、何より貧困(とか)をどうにかしないとならないんだろうというような話で。(大抵は)現状の生活に耐えられない事情が何かしらあるから死を選ぶ訳なので。

その具体的な事情に対して(具体的に)ケアすることで対処するのが一番建設的だよね、と。