LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の趣味と考察と日記を適当に

無職転生…end感想

とても心に残る作品だった。面白い小説や漫画は数あれど、心に残るものはまた別なもので。特に無職転生は情景が脳裏に浮かぶようで良かった。文庫版から入ってしまうと、挿絵のキャラクターで再生されてしまうことに難があるから、私は挿絵は良し悪しだなと思っている。

悪いところを書けば、終盤が急ぎ足だったことだろうか。魔導鎧を着たルーデウスと他のメインメンバーを闘神と共闘させた結果、魔導鎧の強力さが相対的に下がってしまった印象を受けた。特に一式は非常に強力だったはずだが。

あと、主人公の性格には最後まで難があったなーと。オタクを拗らせて「自分の家族」という存在に拘泥した結果としての家父長制的価値観…というか。大黒柱とか言っちゃうし。私の中では死語なんだけど…。「家族は俺が(一人で)守らなきゃならないんだ」という妙な使命感。一人失っただけ(?)で立ち直れなくなる自立性の無さ。

それと反比例するかのような赤の他人の命の軽視。人神に怯えて臆病になった結果なのかなー、と思うけどさ。最終決戦で、スペルド族やアトーフェの親衛隊、鬼神の犠牲が出ているのに、自分の友達・友人に被害が無いからと、結果から見れば大勝利だった、とスルーして語ってるし。これが友人・家族が一人でも殺されていたら真逆の評価をしていただろう。失うものが大きすぎた…orzとか言い出すだろう…と。アルドノアみたいにモブは人命の内に入らないんですよね(>_<)でもそれは凄い違和感ある訳で。それは、それともシーローン辺りの戦争編で狂った価値観なのかな??

ラトレイア家の問題でも「クレアに斟酌する必要がどこにあるのか」という思考をあくまでも放棄できず、クリフとゼニスの行動とクレアの真実の吐露が無ければ意地を張るクレアに同情しなかっただろう。訳が分からなければ断罪という…。司法は原則的に疑念があれば裁けないものだけども…。テレーズさん?についても自業自得…って思っていて、神子が進言しなければスルーしていただろう。そして結果(彼が思っていなくても)殺害されていただろう。他人に対して軽んじている部分が見え隠れする気がする。

正直、ナナホシも家族と天秤に掛けてギースの件を優先して見捨てたかったんだろう、という描写がなされている…。それでも見捨てる選択をしなかった…という風に書きたかったのだとするなら、書き方で主人公の印象を悪くしてしまっているのかもしれない。

一方では「己の子供がラプラスだとしたら命を奪わずに守り切る。教育してなんとかする」と頑なに主張する。その辺が私は「うわー」と思って読んでいた。ここは単純に、「生まれて来るラプラスは倒す」と言っている。でも自分の子供は見逃せ、というのである。そして、それは多分、シルフィに見捨てられたく無いからだろう…。ララの超能力が判明した時はルーデウスは自分が守る等と決断することが出来なかった。彼にとっての重要度は子供より妻に愛想をつかされないことのような気がする…。

「平等・対等にしろ」とは言わなくとも。他人に対して事情を斟酌する気が無い。かなり冷酷だと思う。何というのか、自分と仲間という閉鎖的で重要視されたコミュニティ以外の人間は人間として対象化されていない、みたいな心理を思い出してしまう。見方によっては死後の人神に対する気持ちも「俺は頑張った(多分)死んだから残された連中のことはもうどうでも良い。自己責任」と受け取れるし、余裕が出来た途端、人神に「お前のこと嫌いじゃ無かったよ…」とか。

お前自己中過ぎだろと(´・ω・`)まぁ、その辺が人神をおちょくる結果になったんだとは思うけど。

なんていうんだろう…東北大地震で海外が同情してくれた時には感謝するけど、海外で地震津波で大勢が死んでも「ふーん」としか思わない…みたいな。

いや、まぁね。逆に川崎市の事件みたいに、赤の他人が花束やメッセージカード書いて同情しているアピールみたいなのも気持ち悪いと思うんだけどさ…。

まぁ、人間余裕が出来ると他人に優しくしようとするんですよね。そういう都合の良い人が嫌いなんですが( 一一)

作者はこういうルーデウスを自覚的に書いてたと思うんだけど、肯定して欲しいのか否定して欲しいのか…。そういう描かれ方が巡って孤独を拗らせてプライドの肥大化したコミュ症の幻想っぽいなぁと見えてしまう。普通は誰も付いて来ないよなー…と思ってクレアの側に立つクリフを見習えと思いました(-.-)まぁクリフは事情を知っていたから立てたのかもしれないのだけど。

まぁ、金と権力と能力があれば多少性格がアレでも付いて来る他人はいるんだろうけどね…。それが無いのが無職な訳です。最後の方とか完全に運だしなぁ…。

後半になってからも北帝の人に対する心象とか酷かったしね…。役に立たないとか(-.-)剣士が棒は無いわ、とか。そして命を救われたら掌返しですよ。その辺の現金すぎる価値観がずっと変わらないまま終わってしまうのがダメだなーとか勿体無いなと思ったり(´・ω・`)

まぁルーデウスは両親のことも見下してましたしね。パウロ死後以降、人間として認めた感じはあるけど、父親・母親として彼らを認めたのかどうか分からない。年齢的に年下だから見下(みおろ)してるのかもしれないんだけれども。彼の語りでは、パウロ・ゼニスとずっと呼び捨てだし。私的には父さん・母さんと語りの中でも呼べるようになって欲しかった訳で。

そういう関係性が徐々に直されて…ってのを物語には期待するんです。人神は魂の形を見るので、ルーデウスが人神と会う時は前世の醜い自分なんですが、最後の最後ではルーデウスの姿になってるんですよね。けど私の所感としては、まだまだ前世のままの醜い身体が相応じゃないの…という。その辺も駆け足過ぎたと思う。

『そだしす』なんかでは、主人公は両親を両親として認めてるんで、私はそういう方向の方が好きです。あれは、まぁ前世もそれなりに優秀な人だったようですが;

やっぱキモオタスタートとか結構無理があるんですよね。私も発達障害で転生してやり直せるかって言ったら無理だと思うし。今更発達障害が無くなったとして上手くやれるようになるかというと、そういう想像は出来なくて人格や記憶ごとリセットしないとダメだな…と思う。

例えば、アフリカの貧民の生まれの子が普通の子に転生してやり直せるかと言ったら、多分別にやり直せないんじゃないかと思うんですよ。そのたとえはちょっと意味わかんない気もするけど…。良く無い前世を引きずっちゃうと逆に伸びしろは減るんじゃないかな…?

だから、ダメな前世から転生して「やり直し」ってのは、私的には無いなぁ…無理だなぁって思うんですよね。

ずっと頑張って自分のダメなところを直して救われたい、って話は「天使同盟」ってのであったんだけれど、結局、直すのは難しくて救われないみたいな感じって多い気がするんだけど。時間が足りないし結局、矯正してるものって少なからずリバウンドしてしまう気がする。矯正自体にも耐え難かったりするし。

現実では『死に至る病』とかね。キュルケゴールは自殺へ誘われるの自分を哲学によって救われたそうですが…。そこに三島由紀夫とかを持ち出して来て、生まれながらの性質が彼を自殺に導いた、と言われる訳ですが…。幼少の生い立ちで色々あったらしいんだけど。コンプレックスとかね。そういう拭いがたく埋め込まれた自意識が自分を死に至らしめる訳で。34歳のニートの引きこもりってのも私は同じだと思っていて。ルーデウスの場合、家族に依存しきっていて、病巣を治癒しきれてないと思うんですよ。

自分に優しく無い家族から、自分に優しい家族に移動して、その揺り籠の中で生きてくって感じ。自分という中身は変わらずに器だけを移して上手く行ったと言いたいんだけど、失敗していると(私は)思う。

シルフィが死んだら、ロキシーが死んだら、エリスが死んだら、あるいは彼らに見放されたら、それだけで自分はダメになってしまう。それは未来から来た老いたルーデウスが証明していることで、ルーデウスはそれを避けるために悪戦苦闘する訳だけど。そのことに恐怖して中編から最後まで終始してしまうので精神的に自立する話が出てこないんですよね。あくまでも家族というものに依存して自分という存在が成り立つって状況が最後まで続いてしまうので。要は独り立ち出来て無い訳で。

きっと、妻たちに(自分の)母親としての役割を期待しちゃう感じだろうな…って思う。

それは結局「都合の良い環境があるから自分は上手く生きて行ける」って主張に見えるし。確かにその環境を守るために悪戦苦闘して頑張ってる部分は評価はするんだけど、こう行き着いた場所でやってることが…「誰が働いて稼いできていると思ってるんだ」という感じの自己肯定の仕方に見えてしまうんですよね。結構上手く行かなかった時に「じゃあどうしろっていうんだ!」ってヒスってること多いし。

専業主婦がいる家庭での働いて家計を支える夫って感じだろうと思うんですね。だから難点も被る。基本的に夫がいない方が良いんですよ(苦笑)主人在宅ストレス症候群になるから。愛想つかされて熟年離婚とかになる訳です。やっぱ、そういう古い夫婦関係なんだろうなと思うんですよね。そして、どうも引きこもりのコミュ症ニートってのは、そういう古いタイプを理想としてイメージする傾向があるんじゃないか…っていう先入観がどうも私の中にあるというか…。

家族の中で自分が中心人物みたいな主観を持っている、持ちたいと思っている。自分中心に家族が回ってる的な…。やっぱ、家族から疎外されて孤立しているから、逆にそういうのを理想に持ってくるんだろうか…。「自分の」家族が欲しいとか言い出す、と。そうなると家族=「私の」所有物になるので。故に「自分は大黒柱だから!」とか言っちゃう的な…。ハッキリいって私はそういう責任感の持ち方・持たれ方が嫌いなんですよね…(´・ω・`)

ルーデウスはそういう考え方・感じ方をしている描写がされるので、多分、私は嫌なんだと思う。価値観としては分かるんだけど、随分バージョンが古いんですよね。だから共感は出来ないという。20世紀的な価値観というか…(´・ω・`)それはやっぱズレてるんだろうなぁ…と思うんですよね。ハーレムがどうのという以前に(苦笑)いや、多分ね、コミュ症ヒキオタの着地点としてある意味リアルだとは思うんだけど、私から見ると、それは、ある種の懐古主義的なDQNなので…。

「俺はどうなっても良い…家族だけは!!」ってのは龍神戦と闘神戦で二度繰り返された台詞でルーデウスの価値観を象徴的に表わしてる気がするんですが、やっぱ…古いんですよ。1900年代の家族のステレオタイプかなと思うんですが。こう子供が悪いことしていないのに相手が目上だから結果を考えて頭を下げるのが正しい親の在り方と描かれていた感じの頃の価値観。クレヨンしんちゃんの大人帝国とか戦国あっぱれとかやってた頃の感じかな。

ツッコミを入れるなら、龍神戦も闘神戦も妻たちは戦闘に介入してる訳で、もう戦いの当事者ですよね…って感じかな。エリスなんかは特にもろに殺しに行ってる訳で立場的には殺されても文句言えない訳だし。そこに件の台詞を差し込むのはちょっと厳しいと思う。こうコードギアス的には「撃って良いのは撃たれる覚悟のあるやつだけだ!」って感じです。

頭を下げるって方法じゃなくて、エリス達は戦いに関係無いから、俺とだけ戦えみたいな感じで真意を示すみたいな方法も取れたと思うんですよ。でもルーデウスは泣きついて頭下げて許しを請うという方法を取るので。それが格好悪いからダメとかじゃなくて、単に古いと思うと。首吊って責任取るとか、土下座して謝るとか、坊主にして謝る、というくらい古い(苦笑)まぁ、最近もマクドナルドの社長とかがやってた気もするけど…。20年前だったら通用してたかもしれないけどさ…。

その辺が蔑ろにされちゃってる感じは、妻たちも言ってるけど「家に閉じ込めておきたいのはわかりますけど」って。彼女たちは死ぬ覚悟もあるんだけど、ルーデウスは最後まで汲み取らない(れない)ので(´・ω・`)それは妻のためじゃなくてあくまでも「自分のため」に汲み取らない。で妻の意思を蔑ろにする。

私はその辺の相手の覚悟を汲み取ってやれる主人公が好きかなぁ…と。汲み取りつつ、しかし、身体が勝手に動いて自己犠牲的に助けちゃう的な。まぁ、欲を言えばフォローできる男が格好いいんですが…。ルイジェルドさんですね(>_<)

ルーデウスのは私から見ると恐らくどうにも表層的に見えてしまうんですよね。概念的・宗教的というか。男は女を守らなければならない・夫は家族を守らなければならない→だから、的な正論に見せかけて、本当は自分が「自分のもの」を失うのが怖いだけという。

こう…中編で家族を作るまでは人間関係で苦労したり努力して積み上げていく過程が描かれてて良いんだけど、そこから人神との戦いに入っていくと完璧に守りに入っちゃう話になってしまって、それが悪かったんだろうな…っていうね。常に人神から家族が奪われるんじゃないか、と脅えさせられてるという話で。ヘタレ感が全開というか(´・ω・`)うん。展開が悪かったのかもしれないな…。まぁ、それを等身大の主人公だったと評価してもいいんだけどね。まぁ、元キモオタとしては頑張ったよねと(´・ω・`)もうゴールしても良いよね、みたいな。

私は転生もののやり直し系には、最終的にはある程度性根を改めて欲しいかな、と思ったりする。レ・ミゼラブルみたいにある日天啓を受けて改心するってのは中々無くて、徐々に改めて行く方が現実的だと思ったりする。前者はジェットコースター的になりがちだし…。そういう少しずつっていうストーリーはさじ加減が難しいから、最初から人格が割と良い人が転生した話の方が物語としては作り易いよなぁと思ったりする。ただ無職転生はある意味ではリアルかなと思ったり。人間の本質はそう簡単に変えられないから。まぁ、無職転生の場合、人神との対決編になってから、ルーデウスの精神的成長を描く方向性が薄くなったのかもしれない。だから、割とパウロ死亡後ぐらいから精神的成長が止まっている気がする。その辺をもっと長く描くと良かったと思うんだけど。

ギースの話じゃないけど。無能だから人神の神託(能力)に運命を託さざるを得ない。でそういう恩があるから人神に付く。実際、事情は違えど流されまくった挙句、龍神に挑んでいる訳で。そういう経験をしてるのに他人に今一共感できずに行動を誤ってしまうようなダメっぷりが改善されず終始チラついてしまうので、そこに成長の帰結としてのカタルシスを得られるのかな…って思う部分があるかな。

要は、よく精神的に成長したなぁ…と思える程では無かった、という話で。特に最後の人神との邂逅がどうにも投げっぱなしジャーマンに見えてしまうのがね…。好意的に読めば「後は子供たちを信用して任せた」って読もうとは出来るかもしれない…。でも普通に読むと、年寄りが若者(嫁も含めて)へのしわ寄せを見ないフリして既得権益を享受して逃げ切る構図に見えるのですよ…もう爺さんは疲れてしまったよ。あとは頑張りなしゃれ…(´・ω・`)ノシ という風に。

まぁ、最後にポケットからロキシーの白い布が出てきたところは笑ってしまったが(´・ω・`)

邪神を崇拝していた?とか書かれてるし(笑)