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LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の適当な日々の考察と日記

事件・事故 迷惑という表現

例えば、過失による事故によって、人が怪我を負った場合に「迷惑をかけて申し訳ない」という表現を耳にすることがあるが、私はそれに違和感を感じる。

例えば、飛行機事故で人が大勢死んだ場合に「皆様に迷惑をかけて申し訳ない」という謝罪の仕方をするだろうか。仮にそういう謝罪をされたとして怒りを感じないのだろうか。私が思うのは、それは最早「迷惑」というレベルではないという話である。「迷惑」という表現は私は比較的軽い罪に対していうものだと思う。

じゃあ、人に外傷などの危害を加えた場合には、どう表現するのが適切だろう。例えば「許されないことをしてしまった」等が思い当たる。素直に「危害を与えてしまった」というべきかもしれない。少なくとも例えば、被害者が亡くなったようなケースで「迷惑をかけてしまった」と表現するのは不適切で他人を蔑ろに過ぎているように感じられる。謝罪の言葉というのは、自分のあるいは自分たちの起こしてしまった行為が「どの程度のものだったのか」という認識を問われていてるのではないだろうか。その人が例えば亡くなっている等、最早、迷惑と感じることも出来ないのなら「迷惑をかけた」という表現は適切では無く、謝罪される側は罪の重さが、その表現では不適切であるということを理解して欲しいのである。犯した罪に対する認識が正しく無いのだと感じられるから納得できないのだ。

その結果、相手が「分かってくれていない」という憤りを感じるのである。何も分かっていない謝罪などに謝罪の意味は無く、そこには(適当な)反省の余地も見られないのだから、被害者側が許せないという感情を撤回できないのは止むを得ないだろう。寧ろ形だけの謝罪を重ねたところで「事態の重さを理解しようとする誠意が見られない」と謝罪せずに黙っているよりも怒りをかう結果になりかねない気がする。

例えば例で出した(実在しない)飛行機事故の謝罪の場合、迷惑をかけたのは社会に対してであり、当事者に対してではないという風に受け取られる点で怒りを買うだろう。それは会社の保身的な謝罪であり上辺のものでしかないと(事実がどうであれ)「思われる」からである。自分たちが当事者であり加害者であるという認識が欠けており、あるいは自分も被害者なのだと訴えたいという風に伝わってくるから。

だが、それは責任者が責任を正しく負っていないということであり、受け取る側はそのような謝罪は受け取れないし、感情的に許せないだろうと思われる。どうもニュースなどを見ていると、そうしたものでないキチンとした謝罪というのがあまり見受けられない気がする。単に気にならないだけなのかもしれないのだが。

キチンとした謝罪というのはキチンとした反省を含んでいるものだ、というのが私の持論である。正しく事態を理解し反省出来ていないのに謝罪することはできない。だからそういう人の謝罪の言葉が浮付くのは当然である。何を謝るべきなのか本人が分かっていないのに「謝らされる」のだから。

そういう謝罪では同じ過ちを繰り返すんだろうなぁ…と私は思うし、意味が無いなと思ったりする訳で。

まぁ、反省するにも一定の知的レベル<賢明さ)が必要なので、馬鹿な人は何が悪いのかも理解できないので結果として被害者側が望むような謝罪も出来ないのだと思う。要するに、賢明な人の謝罪会見があまりTVに映らないなという話だったりする。

まぁ、賢明な人だから最初からあまり謝罪するようなケースに陥らないのだろう。逆に賢く無いから罪を犯し、正しく反省も出来ないのである。富む人は益々富み…とか、そういうのが世界の原理の一端だと思うので仕方ないのだが…。

あぁ…私は馬鹿な側なので反省することが実に難しいです。「忠言耳に逆らう」という言葉がライトノベルに出て来て、至言だなと思うくらい。発達障害者は特に思考の柔軟性に乏しいので自分の考えを曲げにくいのだと思うんですよね。想像力が害されるので、一つの考えに固執しやすく相手の言葉を受け入れ理解する能力に乏しい。それが社会不適応の原因にもなる。そして反省のし難さにも繋がる。実に杓子定規です。それを馬鹿だというのは可哀想ですが、それが現実だよなぁと思ったりもします。可哀想な人間だと思うので…(苦笑)他の同じ障害者を見た時、私は普通の人と比べた際の異質さと、障害に対する憐れみを感じますが、それはブーメランなんだろうな…と思う訳で。