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LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の適当な日々の考察と日記

徒然

1 サムの親指?

サムの親指法賛成って記事のコメントで、収益は被害者側に行くべきだって、いう意見があるんですが、私はちょっと反対かな。

例の手記に対する意見は以前書いたのですが、犯罪者側が過剰な利益を受け取ることも反対なんですが、じゃあ、その代わりに儲けの殆どは遺族側に行くべきだ、ってのも分からないんですよね。自分の子供が殺されただのと書かれた本が売れた金を受け取って果たして遺族は嬉しいのかな…と。そりゃ花より団子って人も中にはいるだろうけどさ。原稿料だけ出して、印税はまぁ、受け取れないようにしたら?って思うわけだけど。悪いことしても儲けられたら「これが現実ってやつよ。ざまあみろ」って懲りないでしょ。

2 子供が好き というのは誤解が多いんじゃないか

子供が好きだから子供が欲しいとかいうのは、違うんじゃないかなと思ったり。子供には二つの意味がある。一つは、幼いという意味。もう一つは、親子という関係性。親にとっての子供は二の意味だが「親にとって子供は何時まで経っても子供」などという時、1の意味を混同している人がいる。確かに子供というのは幼い時期があるものだが、子供という以前に子育ての子というのは、幼いものを育てるというよりは、親子関係の子にあたる者を世話するという意味だと考えた方が妥当ではないか、と思う。子供が出来たという時も、2の意味で考えた方が良いし、子供が欲しいという時も2の意味で考えた方が良い。

幼子(おさなご)という言い方があるが、子供という言い方と併せると二重に幼いという意味を加味しているような気になるが、親子間での子という意味と捉えて良いような気もする。子供が好きという場合、ロリコンっぽい印象になるが、そういう意味で使い過ぎると1の意味でばかり子供というものを見やるようになり2の意味での見方を喪失すると思う。

そういう見方で子供が好きと考えていると、大人が苦手だから幼い子供相手がやりやすいから小学校教師になるとか、ロリコンだから教師になろうだとか、そういうお馬鹿な考えを招く。子供が愛くるしいから子供が欲しいとか。子供というのは親子関係の子を指すと考えて、実体は人間なのだと考えた方がまともに子供を見据えられるんじゃないだろうか。言い方を変えれば後進だろう。親の庇護下にいるまだ社会的に自立していない人間だと思ってもいい。そういう子供に大人は接しているのだと考えてみた方が良い。

そういう意味で考えて、保育士や教師というのは、子供が好きだからなるのではなく、第一に「人間が好き」なことが要件なんじゃないかと思う。子供なんてのはそれらの職業の人は親の子で「人様の子」というくらいの意味だと考えた方がいいんじゃないかね…。犬好きにわざわざ限定的に子犬だけ好きという人はあんまいない。まぁ生涯赤子扱いしてる人は多そうだが…;犬とかはもうちょっと役割求められたいんじゃなかろうかと思ったりする…。犬の子犬の時期は1年くらいで直ぐ成犬である。まぁ、人間でも多少違いがあれど、基本そういうものなのだから「子供が好きだから子育てしたい!」なんて思う人はものの考え方を変えてみたらどうかと思う。「親にとって子供は子供である」というのは論理的な話であって家系図見りゃ分かる話に過ぎない。「子供は何時までも幼い」なんて考えてるようじゃただ現実が見られない頭の中がメルヘンなだけな人になっちゃうと思う。