LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の適当な日々の考察と日記

少年法のケアすべき距離

少年Aの話である。某記事によれば、彼は出所後、不安定な雇用環境の中で職を転々とせざるを得なかった、という。例の事件の加害者なのではないか、という噂が流れ、職を辞めざるを得ない状況が続いた、と書かれていた。

まぁ、それが実際にあった出来事だったとして、そういう状況は少年を更生させるのに不利に働くだろうと思う。心無い人は自業自得だと彼を糾弾するだろうが、そういう心無い人々の振る舞いが彼を追い詰め、破滅願望などを抱かせ、再び凶行に走らせるなんて未来もあったかもしれない。そう考えると少年法が保護すべきは、彼の出所後の就業環境なども含まれるのではないか、と私は考える。

最近、ニコ生主がドローンを使って迷惑をかけて逮捕された(?)件で、周りで煽り立てていたり支援したりしていた人たちが問題視されたが、少年Aの問題も同様である。周囲の面白半分の悪意ある人たちが心理的に誘導するケースがある。私はそういうのはもう犯罪だろうと思うが…。ただ、そういうやり口に名前も無く、何のハラスメントだか自明にならないので、口に出して言えない状況・裁くことが出来ない状況にあるように思う。概念が無ければ指摘できない、なんてことはありがちだ。

「誰も守ってくれない」という映画があったが、加害者を更生させたいと望むなら、私的な社会的制裁から制度が彼らを守ってやれねばダメである。もしかすると、守られなかったからこそ、今回の手記の販売に及んでしまったのかもしれない。まぁ、こんなものは憶測に過ぎないが。

まぁ、どうも少年は殺人を犯した代償はその社会的制裁を受けるからだと思っているような記述が見られたが…;痛い目を見るからやっちゃいけない、ってレベルの反省は原始的過ぎると私は思う。それは反対に痛い目を見なければ何をやっても良い、という理屈に繋がるから。その手のことを「したたか」と言いたがる人間を何人か見る機会があったが、私はそういう人間は嫌いだ。ちなみに日本人の気質から匿名の場でそういう人間が目立つ傾向にある。

少年の反省が足りないという以前に周囲が彼を打ちのめしていたのなら(出版が非難されるべき行為だったとして)罪は彼にのみあるのではない、と言わざるを得ない。彼を追い詰める周囲の人間は醜い根性をしてるんだろうと思う。まぁ、そういう人は「だから何なの?」って開き直る訳だが。法的に罰を受けないなら、あるいはバレなければ何をやっても良い、と思ってるからである。

以前も責任という概念について説明したが、責任なんてものは曖昧な概念で、スタンドアローンで屹立するものではない。人間は様々な周囲の思惑に左右された結果として個々の行動に及ぶのである。

第二次世界大戦のドイツ。ヒトラーの恐怖政治も国民が誘導されたからこそ成ったものであり、ナチスヒトラー個人の責任とは必ずしも言うことができない。同様に大日本帝国の暴走もまた軍部の暴走もあったのかもしれないが国民の支持を受けての話だったと聞く。責任を取らされるのはトップだが、それ以外の人々が無関係だった、とは言えないのである。

現在だってマスコミの偏重報道は問題視されている訳で。彼らは裁かれないかもしれないがその振る舞い自体に罪はあると私は考えている。そうした日頃の態度が将来ツケとなって、自らに返ってくるだろうことは想像に難く無い。既に政治の問題では将来の破綻を危惧して問題提起している人は多い訳だが…。別に犯罪で裁かれることばかりが日頃の行いの結果蒙ることになる不利益の全てではないのだし…。

例えばの話、浅原彰晃という人間も一障害者としての彼に対する差別的な扱いが無ければ、成り立たなかった可能性は大いにある。けれど、実際には周囲の彼に対する扱いが世間に対する破滅願望を醸成し、サリン事件に繋がったのだとも思える。そういう意味において、我々は他人に対して常に何らかの影響を与えているし、日々の些細な行いさえ責任が生じていると考えることは恐らく正しい。まぁ、勿論、一般的にそこまで気を回して生きている人間は少数派だろうけれど。

そういう無責任な周囲にも責任はあるのだが、ただ便宜上、裁かれるのはやらかした一個人になるという話である。そのように責任と言うのは不完全な概念である。ドローン少年を遠隔操作していた人間は裁かれず、少年だけが裁かれるという結果は不当だと思うが、彼を振り回した愉快犯は裁かれないのだろう。

いじめの理論において、周囲で虐めをただ見ている人々でさえ共犯であると言われるのなら、それこそ口に出して煽っている人間に罪があるのは明白である。別に少年Aを擁護する気は無いし、手記の出版には問題を感じているが、事件以降、同様の犯罪を彼が犯さなかったことは事実である。