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LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の適当な日々の考察と日記

中二病でも恋がしたい レン 7話 感想

とりあえず、マンションの上階から下階に降りたり、窓から身を乗り出したり、危険な描写が多いことを懸念。まぁ、危なくなる場面もその分入れ込んでるんだろうけどね。

DFMと六花の関係を考えると、正に親子というか保護者と被保護者という感じで、DFMは母親っぽいんですよね。男版、憂ちゃんというか…。まぁ、完全超人ではないですけど。女子高生なんかが何でオッサンと付き合うか、というと、保護者の身代わりになって欲しいみたいな部分があるんだろうなぁと思うんですが。専業主婦や家父長制や女性に対する差別から女性の権利が弱くされ社会的弱者にされているから、女性ってのは誰かの庇護が必要な存在にならざるを得ない的な部分が、現代でも結構残ってると思うんですよね。男性側もそういう女性の弱味に付け込んでるというか…。

まぁ、だから、女性が一人で生活していけるようになれば、相対的に男性に対する依存度が減る訳で。女性から見た結婚の重要度は下がるしかないですよね、と思ったりします。男性がATMだというのも社会がそうさせてきた部分が大きい訳で。男性と女性の収入の格差は今でも2倍くらいあるみたいですしねぇ…。

お嫁さんになりたい、とか、専業主婦になりたい、という夢、あるいは、男は外で女は内、とか、亭主関白な家庭を作りたいとかいう人は前時代的な思想に見事に引っ張られてますよね…。ちなみに発達障害者にもこの手の価値観の人は多いと思いますが。

可愛いの原義は可哀想にあると言いますが、元々、可哀想な女性を庇護したい、という価値観に基づくものなのかも…。

KEY作品もそうですけど、この作品も弱い女性を強い男性が保護する物語になっていますよね。ただ現実の男性はそんな強く無いので、だからこそ理想として、こういう物語が作られて支持されることになるんでしょうけど。

「小説家になろう」のハーレム系、俺TUEE系というのも大抵、同様の物語ですよね。強い男には女が付いてくる的な。「ワールドティーチャー」って作品がありますが典型的です。私はちょっと上述した感じが強くて読めなくなっちゃいましたけど、完全無欠な主人公が無双して、自分より弱くて下位にいる女性を籠絡して冒険する、という…。

私の嗜好の話ですけど、「異世界に行ったらぼっちーと」という作品が「なろう」にあるんですが、これは転生してもチートでも、結局ぼっち…という話でして、私はそのままぼっちで行って欲しいなと思うんですけどね。あとは「無職転生」みたいにやり直したんだけど、完璧にはなれなかった…みたいな話とか。「無職転生」はまぁ、主人公の家父長制的価値観が強くて、ちょっと嫌だなぁとも思うんですけど。象徴的な言葉として「一家の大黒柱なんだから」とかね。あるいは「お兄ちゃんなんだから」なんてのも私は考え方が古いんだと思いますけどね。前者は兎も角、後者は現代でもリアルにまだまだ多いですよ。

この作品で非難されることですけど、完全無欠なとこ、とかですよね。弱味が無いんで見ててつまらない…とか。何でも思い通りに行く物語って、作者の自慰的作品と見做されちゃいますね。まぁ、「なろう」のようにアマチュア以下の素人が書く作品はそういう作品が多いんですが。なぜ、そうなりがちなのか、というと、創作したい理由の一つに「自分の思い通りにならない現実世界と違い、自分の思い通りになる世界を構築し、その世界で好き放題したい」というものがあるから。でも、そういう動機で作品を書くと大体、作者のエゴが積め込まれた詰まらない作品になると私は思う。

幽々白書を引き合いに出すと、富樫さんは「キャラがどう動くのか想像して話を書く」って言ってた気がするんですよね。要は作者がどうしたいか、ではなく、そのキャラがどうするのか、という視点に基づいて物語を構築して話を進めていく。そうじゃないと、キャラ設定が作者都合で簡単に歪められ、ご都合主義的展開になり易いですしね。その結果、下手な人だとみんな同じ人物にしか見えないという…ね。キャラが生きて無いと物語としては魅力的じゃ無いです。

私的にはそういう「キャラの立場になって考えられるか」という能力が物語の面白さを左右するように思える。さて「中二病でも恋がしたい」は構造的に男権主義的なとこはありますけど、主人公は万能じゃないし、キャラは立ってて面白いなー、と思ったりします。特に凸ちゃんが良いですね。

というか、そもそも、六花をどうやって庇護するか、という話のような気もするので主人公が上位に立たざるを得ないというか…。