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LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の適当な日々の考察と日記

なろうの小説の感想欄の気持ち悪さについて…

小説

日本人的なものなのか、フォローしようとする結果としてそうなるのかわからないけれど、なろうの感想欄を読んでいると、結構な頻度で気持ち悪さを覚える。それは批判的な感想よりも肯定的な感想の方が気持ち悪いことが多い。

恐らくは、同人誌的なものを考えて貰えると良いと思うのだが、自分の作品が他人の中でBLものにされて流されるような感じだろうか。「次の展開は~でしょうね」という意見によって、作者が創作を封じられてしまったり、感想を書く他人の思惑の中に埋め込まれてしまうことが多々あるように思う。

「くまなの」とかそんな感じで、感想を受け付けていない頃の方が私は好感が持てた。確かに感想から直すべき指摘をされることもあるだろうが、そういう意見は一部で、ファン的なノリで作品を全肯定しながら、作者のノリを代弁し、その作品に便乗して、祭あげよう、盛り立てようという作品を肯定することによって間接的に読者自身の自己承認欲求を満たそうとするものが多く、作者がその手の感想に乗って追従してしまうようだと感想欄は気持ち悪いことになる。

他人は作者の世界観の中に無理矢理身体を突っ込ませて自分を参入させようかというような感想を書くべきでは無い、と私は思う。まぁ、ここでそう書かれても伝わらないかもしれないが。そういう隙(フィードバックしやすい)を見せるから、連載形式の作品は小説を書くのには向いていないのかもしれない。批判されやすくなるかもしれないが一人の価値観の中作り上げられた作品の方が私は面白くなるような気がする。作者が読者の思念に振り回されることで作品が一貫しなくなったりすることの方に問題を感じる。

気持ち悪い賞賛の感想より、的を射た非難の方が気持ちよく感じることがある。無論、悪口を言いたいだけの非難で的も射ていないものを評価する気にはならないが。批判を全くしてはいけない、肯定しなければならない、という意見には同意できない。その圧力の結果、妥当な反対意見でさえ押し込められ賞賛ばかりの気持ち悪い感想で埋もれるのでは気味が悪い。「満点です」とか「こんな素晴らしい小説を読んだことはありません」とか「なろう」の小説でなくとも大袈裟な表現で「批判するところなんてありません」などと世辞をわざわざ書くのは私からすればやめてもらいたい。

作者がその感想に同調し、自分に都合の悪い感想は書かなくて結構という立場を取り、それが強硬なものになると、的を射た批判さえも突っ撥ねることになり兼ねない。そして、自分を称賛する感想に身を委ねようとする。その結果として、作品が良くなると私は思わないし、実際に作品の悪いところから目を逸らす理由になりがちだと思う。例えば、そうなって自分の作品を全肯定してくれる読者がいるから、そいつ以外(読みたくない人は)読まなくていいよ、といってダメな部分から都合よく目を背けてしまうくらいなら始めから感想記入を不可にして最初から最後まで書ききった方が良いと思う。

読者の妙な同調のコメントが作者の作風を誘導して、作品を妙に歪めてしまうことがある気がして、私は嫌だなーと思うことがある気がする(本当に歪めているのか定かでは無いが)。妙な身内意識や身内ネタのようなメタなものが出てくるようではいけない…。ネット上の悪意もそうだが、善意も妙に偽善に満ちて気持ち悪いことが多い。そして、それを偽善と思わずに受け取ってしまっている人が割といるような気もする。偽善もまたネット上の嘘なんだから、ネットリテラシーを持ちたいというのなら、そういう部分にも気づけた方が良いと思う。内容が無くおだてるだけのような感想も作品を痛烈に否定する感想と同じく悪影響になることがあると思う。

特に私みたいな人は気付けないんだろうから。偽善を善だの真心だのと受け取ってしまっても、そうじゃないと知れて、傷つくことになる可能性もある。

2chを使う人にはリテラルが必要だと某元?管理人は言ってたようだけれども。誰でも気軽に書き込めるような場所では大体、そうだろうなぁと思ったり。私みたいな頓珍漢な人も書き込むんだという前提を持って読んだ方が良い。

そして、そういう人間でも、大抵の人間は自分は正しい(はず)と思い込んでいる。私も頓珍漢だと書きながら、実際には信じておらず、自分が正しいという前提に立っているかもしれない。ネットという空間は、正しい人もそうで無い人も、少なからず、そのように考えて書き込んでいるのだと思う。

「嫌なら見るな」というように、それが「好きな人間もいるから批判するな」という人もいるが、極論だと思う。極論だと分かっていても批判され難いから言ってるだけなのかもしれないが。批判し難い言葉だから正解だと思っているのかもしれないが。批判し難いだけである。まぁ、簡単に言えば、その理屈を通してしまうと何でもアリのやったもの勝ちな世の中になってしまうだろう…。

沈黙は肯定の意、と捉えるという台詞くらい強引だ。普通、その場で反論が思いつかないとか、そういう話だったりするかもしれないわけで。曖昧であることをダシに使っている…というべきか。曖昧なうちに物事を自分の都合が良い方向に動かしたいんだろう。