LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の趣味と考察と日記を適当に

レイシストってのは

日本人はレイシストだ、ってのはよく聞くけど、私的にはどういうのが差別的だと感じるか。

意見が合わないと、そういう人もいるよね、で終わらせる。

その癖、その「そういう人もいる」という意見を認めない人を見下して攻撃する。

その結果、私シャットアウトされる(苦笑)

思うに、多様性という言葉を自分が批判されないためのバリアにするんですよね…。

アニメの批評で「フィクションに何マジになってるの?」っていう人はレイシストだと思う。

自分が絶対に批判されないような意見を言う。自分の意見は表明しない。

そういう人もいるよね、とか、それが民主主義だからね、という。

判断と決断は避ける。責任を問われるようなことは言わない。

ポイントは自分の意見は言わない、ということ。批判されたくないし、舞台に立ちたくない。

その癖、自分は正しいという位置に居たい。結局、それは自分の無知を露呈してる気がする。

知識が無いのに口を開きたいが非難を浴びたく無い場合、そういう他人の論戦を封殺できる意見を言う。

そういうのは、他人の意見を認めて無いんだと思う。

格闘ゲーム初心者狩りする経験者とか、初心者狙いのMMOのプレイヤーキラーみたいな感じ。

日本人は多分、そういう人多いですよ。全体主義、事なかれ主義、空気を読めってのの結果。

周りに合わせなくちゃいけないけど、何が正しいんだか分からないから、自分の意見を主張するのがリスクになるので

「そういう人もいるよね」とか言っとくのが無難っていう。

でも、逆にそうしない人には敵意を向けるというか、わがままだの傲慢だのと烙印を押され易い、というか。

都市部みたいに誰が周りに住んでるか分からなくて、皆が分断されていて、流動的な場所であれば「そういう人もいるよね」で関わらなくて良いんだけど、田舎みたいに関係性がある程度一定な場所では「自分の意見が言えない」って部分が顕在化して、村社会化するんだと思う。「そういう人も~」的な大義名分で個々人の意見は封殺される。意見を言うのは傲慢で我儘で敵意を買い排除される。

というイメージがある。

自分は人種差別なんかしない、と思っている人は、

だいたい、そういう形で差別している、という話である。

本当に人種差別なんかしていないのなら、初めからそんなことは言わない。

人種差別をする以前に他人種について禄に理解していないのが当然で、相互理解なんていうのは、付き合う中で差別をしながら、相手を理解していく、という過程を辿る。

私は私に関して言えば人種差別をしないというよりは単に他人種に関して無知なのだ、と思う。

まぁ妙な先入観ばかりはあるが;

例えば欧米なら実際に色々な人種が混淆して住んでいるので、そういう人たちに対する一定の見解を自分の中に蓄える余地があるが、日本は島国で周りには同じ日本人ばかりだから、自分と異質な他者について学ぶ機会があまり無いことが多い。そういう意味で抗体が少なく、すぐアレルギーを起こすようなイメージがある。そういう土壌の違いが差別的だとかそうではないとかいう話に繋がるのだろう。

日本には黒人が少ないのだから、アメリカのように黒人差別が起こる事態自体が少ないのであって、多分、仮に移民でそういう人たちが増えれば差別するわけで。単に日本人が黒人を差別してはいないというような話は比率の問題のような気がする。クラスの生徒が1人ならイジメは起こらない、とかそんな感じである。摩擦が無ければ熱なんて起きないので。そんなものは日本人がアメリカ人より賢明だということを取り立てて示す根拠にはならないだろう。

にも拘わらず、日本人はそういう環境的違いを自分たちの善性の証明だと考えがちで、白人黒人間の問題なんかは自分たちならそんな愚かな差別はしない、とか考える気がする。日本人が白人ほど傲慢じゃないとか。

そもそも人類というもの自体、万物の霊長だろうが、まだまだ、そこまで賢明じゃないと私は思う。白人と黒人と黄色人種の脳容量の違いとかはそこまで大した差じゃない。50歩100歩だろう。人間自身が自分に抱く人間のポテンシャル=無限みたいなものがあると思うが、まぁそんな大層なレベルじゃないだろう。猿に毛が生えたくらいである。生えてるが(´・ω・`)その落差が人間から見たら大きすぎたので勘違いしてる気がする。

単に人間に対する類人猿みたいに対比できる対象が上にいないから進化の木の中で自分たちの程度がキチンと想像できないのだと思う。最上位だと思って、それ以上は無いと考えてるから(´・ω・`)

自分たちが所詮みんなが「猿の惑星」における猿だとは真面目に考えていないのだろう。フィクションで思考実験に過ぎないと笑い飛ばしてるんじゃないかなぁ…。

それはノスタルジーのように昔は良かった、というのと同じ心理だろう。あるいは、戦時下の扇動された民衆の心理のようには自分たちがならないという妙な確信の心理、というか。直感も確信も毎回当たるものではないのに、どこか妄信してチップを賭けてしまいがちである。今の時代の民衆でも一部はそういう感情から徴兵だの戦争だのと十分冷静さを欠いて動いているように見えるのだが…。

直近の話では、たばこの害、酒の強要、家父長制、体罰なんかは当たり前だと思われていた時代が割と長かった気がする。2000年代に入ってから、そういうものは大分取っ払われて風通しが良くなってきた。私はそういう社会では特に生きていけないような気がしていたからそういう風潮は助かってるが(汗)まぁ、それは別に人間の程度が上等になってきたから無くなってきたわけではなく、着る衣が変わったから見え方が変わった、というだけで、前の着物に着替えたら同じに戻るだろう。

所詮、人間などは文化の着せ替え人形である。その癖、文化が自分の生まれながらの中身だなどと誤解している。魂に人格なんてものが備わってると未だに考えている節がある。脳の構造的な性格の傾向はあるかもしれないが…;

猫の中で育って猫みたいになった犬というのがいるが、人間も基本的に同じである。文化によって自分が形成されてるので。狼少年なんてのを考えてみれば良いが…。

まぁ、そんなことはない、という感情的な反発というか直感が間違いである。生まれながらの劣等種だなどという典型的な人種差別なんてものは、そういう素直な感性を妄信した結果な気がする。そういう問題を判断するには理性を使わないといけないが、人間=神=直感=真理、みたいな傲慢な思い込みをしている訳である。

レイシストなんていうのは、だいたい、その辺を信じ込んでる人じゃないかなー、と思ったりする。「正直者が馬鹿を見る」のが世の中が間違っているせいだと思ってる、というか。思考が浅はか、というか。「正直者が馬鹿を見る」のは当たり前である。馬鹿正直と言い直せば良いのか…。道理を考えられない無知蒙昧な輩の行いが上手くいくのは偶然の結果に過ぎない。

それこそ、そんな正直がまかり通って貰っては困るわけで。そんなのは科学の罷り通らない魔法の世界だろう^^;自分の我儘が都合良く全て通る世界になってしまっては破滅するしかない。その分別くらいは付けられれば、レイシストなんてのは少しは減るだろう;