ある事件のたびに、コイツはアスペじゃないか、と言われ
→障害者差別だ!と叫ばれるわけだが、
Aさん→アスペなのでは?→差別
というのは、アスペ自体が何か悪いものだと言うので、Aさんを悪いもの扱いし、
差別と言われている、と仮定する。
アスペじゃない!と言ってるのは、
Aさんは悪いものじゃない!と言ってるので、
アスペをレッテルと考えているというわけであろう。
健常者が正しくて、アスペは間違っている。
そういう差別である。
「私は健常者だ!差別しないでくれ!」と言うわけだ。
「こんなやつらと一緒にしないでくれ!」と。
「そうじゃない」とか「なんでそんなことを言うのか」と差別すること自体が
そんなことに対する強い蔑視と忌避感情を証明している。
精神障害・知的障害・発達障害は他人の人格にレッテルを貼って中傷したい人間の最後の砦だ。
それらが無くなると他人の人格を馬鹿にできないので自分が見下せる人間がいなくなり困るわけであろう。
AVが無くなると自慰行為に耽ることができなくなる、という感じである。
けれど、それはスケープゴートで、障害者の人権を無視した野蛮な行為だ。
そうした人格の障害に関しての人々の理解は中々進んでいない。
犯罪者や性格破綻者、引きこもり、に関しても同じだろう。彼らはスケープゴートにされている。
自立できない彼らは仲間に入れないので非国民扱いである。
そして、彼らは仲間に何とか入ると「お前たちと一緒にするな」とその人間の屑か何かを叩く訳である。
叩いている間は自分たちは安全だから。
21世紀にもなって、そんなあり様というのは嘆かわしい。
丁度、韓国や中国が日本を悪者にして国民の不満を解消しようとしたのと同じだろう。
戦時、扇動されていたのに、また同じことをしていると気づかないのだろうか。
自分はそうはならない、と信じているのである。
戦時と同じになるんじゃないか、と恐れているくせに、既にある面でそうなっていることに気づかない。
熱狂して我を失っているように見える。結局は、最初から彼らを悪ということにしたいわけだ。
そこにまともな議論は必要ない。先に先入観や結果ありきで、適当な御託を並べておけば良い。
正直、他国の歴史改ざんが云々とは言える立場じゃないだろう。
同じことを別の場所でやってるのだから…。
魔女狩りと何が違うのだろう。
正しい対処は相手が何故そのように振る舞うのかキチンと論理的に理解しようと努めることだと思う。
欧米のヒューマニズムはそうしようとしているようだが、日本はそういう考え方が本当にわからない人が多いみたいだ。
彼らに指摘されて初めて差別が恥ずかしいものだと思うのである。
それだって、西洋コンプのおかげだろう…^^;