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LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の適当な日々の考察と日記

正直、障害者枠での就職というのは一般企業に対して負担を負わせているという負い目があるんですよね。

一般企業というより、自分の上司や同僚?ですよね。彼らに不快感を与えているだろうことが自分に耐えられなくなるだろう、と。

そういう感覚を健常者側がどれだけ理解できるのだろう。他人に負担を背負わせること自体が自分のストレスになる、というね。

それを優しさと表現すべきなのか何なのか。健常者の方が図々しく生きられる。男性より女性の方が図太いので生き易いんですよね^^;一般論ですが。

女性の発達障害が少ないのは、遺伝子がXYで、男性のXXより、遺伝子の問題を他の遺伝子でカバーできることが多いからだ、と考えられているという記事がありました。きっと、男性の適応障害が多く、そのため犯罪者が多いという一面もあるかもしれない。ゴリラは神経質で暴力的になることがあるというけど、繊細な人間ほどストレスに耐えられずヒステリーを起こしやすいと思う。

それはストレス耐性の問題で、多分、生まれつきのものである部分が強いと思う。だとすると「私が耐えてるのと同じだけ君も耐えられなければならない」という平等で無ければならない、という理屈は間違いだと思う。

まぁ「働かない権利」というwikiの項目で書かれているように、その言葉は労働者の心を逆なでするだろう。何というか、発達障害者は経験上、そういうことが分ってるので、沈黙を選ばざるを得ない。それが空気が読めると思うかもしれないが。

知的障害者の虐待が度々問題になるが、彼らは自分から苦痛を表現することが少ない。苦痛を感じていないというよりどう表現して良いのか分からないのかもしれないと思う。声を上げることができないから健常者に良いように扱われるのである。発達障害者は声を上げるので健常者から見ると面倒で都合が悪いのだろう。不満を上げない労働力の方が良いからである。足を引っ張るし、不満で、その上コミュニケーションも取れないから、カサンドラ症候群の原理が生じるのである。

それで辛いのは、発達障害者と共に働く人々と発達障害者自身である。正直、気の毒だと思う。自分がどう対応しようとも、その独特のイラつきが生じるので、黙るしかないのだが、黙っても同様であろう。職場に不和を齎す存在として存在するほど精神が逞しく無いので、次第に疲弊し脱落するのは当然だ。そういう特性がある以上、人間関係を持たない、社会参加しない権利があって良いと思うのである。

それで「お前だけずるい」というのは結構だが、障害者を受け入れて扱いに苦慮しなければならなくなりストレスで苦しむのは当の労働者側である^^;発達障害者も健常者も苦しむ光景が分かってる私からすると呆れる。

私からすると他人と関わらないのは自分のためであると同時に他人のためである。身体障害者知的障害者と違い、独特のコミュニケーション様態が相手と自分を苦しめるものになるため、働きたくないと思うのだ。相手も私が自分を苦しめる存在だと思うので少なからず悪感情を抱く。善人でさえ苦痛の表情を見せ眉を寄せ同情を見せ諦めるわけであるから、そういう表情を一々見せられたくは無いし、大抵、耐えきれない誰かに集団に迷惑を掛けるなという形でハラスメントを受ける。その主張は正しいが要するに私がいなくなるしかない。

何というか実際に言葉で言われることもあるし、言葉で否定される必要も無いのである。結果的に距離を置かれ拒絶され排除されることも、陰口を叩かれ、ハラスメントを受けることも、それが私自身の障害に兆して他人を苦しめている結果であることにも私(発達障害者)には耐えられない。実際に迷惑をかけているし改める手段が無いから社会参加しないことを選びたいが、それを許さない圧力に耐えかねる結果、誰にも迷惑を被らせないため、苦痛を受けないためには自分が死ぬしかないと思うのは正しいと思う。

逃げ道を一々閉ざされる。

どうも適応的な環境には必ず相手の理解・譲歩が必要であり、自分の努力だけで解決することは難しいから厳しいと思うのである。そこまでの理解は親でさえ限定的に理解しようとしてくれる者がいる程度であろう。自分だけの努力で良いなら発達障害者はだいたい努力してきたはずである。全て挫かれるが。

他人に特別な努力を一々要求できるほど、発達障害者自身がタフに出来ていない。そもそも過剰なほどに空気を読もうとしているはずである(読めないが)。空気の振動さえ感知できるだろう。そういう意味で合理的配慮という言葉が何とも心もとなく見えた。私(たち)は自分の感情を表明するのが苦手だから。知的障害者なら特に合理的配慮と言われても自分から何も求めないだろう。それが苦痛であっても。だから障害者自身に訴えさせることを必要とする時点で極めて効果が限定的だと思う。

健常者でも法律がどうあれ長時間労働やサービス残業を受け入れざるを得ないという人が多いというなら、なぜ立場の弱い雇って貰っている側の障害者が配慮を口にできるのか??挙げられた例以外は譲歩できないと言って切られれば終わりな気もする。

多分、適応障害発達障害者はだいたいそんな感じじゃないかと思う。千差万別と言っても、細かい問題で、聴覚障害などの障害のように、だいたい類似の困難さを抱えるのであろう。他の発達障害者の言うことには共感できるものがとても多い。

そして、SSTをしても大人はコミュニケーション自体がフリが上手くできようが相当な負担になり関わり続けられないことに変わりがないのに、コミュニケーション訓練を受けさせられることに意味を感じないし、最終的に相手が自分を理解しなくては安定した関係も築けないため、こちらも意味を感じられないし、流動的なコミュニティでは負担が大きすぎる。

自分で言ってても甘えだの我儘だのと思ってしまう有様なのだが、それが事実だから正直に自己否定を重ね続けなければならない。その自己否定は健常者の常識で言って正しいからである。

発達障害者が言う自己否定の言葉は健常者から見た場合にもその通りで言い訳ができず正しいだろう。私たちは残念ながら実に真実に忠実に出来ている。それは嘘偽りのない自己診断の結果だ。

まぁ、だから何の役にも立たないと認めて欲しいし、その存在を許して欲しいのである。

寧ろ、何の役にも立たず自分が社会に許されるものではないという分析が理解されない方が無理解を感じるのである。まぁ、建前と本音という形から言うと「みんな生きててみんないい」「金が無いから役立たずは死ね」というのの両方を理解しているのだが、死にたくないので前者を持ってきて無理に開き直り肯定するわけである。勿論、そこに罪悪感を感じて心労で寝込むなどする。

何というか、発達障害者自身は実に環境に対してストレートな反応を返していると思っている。要は全く悪くないのである。何から何まで当然帰結できるロジックである。障害に対する社会的障壁で綺麗に身の周りを覆われているので、何をやっても上手くいかないように環境が出来あがっている。

何というか、喫煙所みたいにそれ用の場所を作って貰えないと本質的に存在できないんだと思う。何というか人道的な形で隔離して欲しい。いや、劣悪な環境にじゃなくって、ってことね。

私としては知的障害者も多分内面的に同じなんじゃないか、と思っている。社会の都合を押し付けられて悲惨な目にあってるように見える。彼らはそれでも楽天的に見えるのだが、やはりどこか暗い表情を隠しているように見えることもある。不気味というのでなく負担がそれだけ掛かっているのに隠してしまうことを他者が見抜いて休憩を命じる必要がある、という意味。