LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の適当な日々の考察と日記

左利きと病理

レッテルを貼られた逸脱者たちはステレオタイプ化された逸脱者の役割を演じることによって報酬を与えら

れ……本来の役割への復帰を企てると罰せられる。……逸脱者は被暗示性が高くなり、申し出された狂気の役

割を唯一の代替策として受け入れる……精神障害の枠組みのなかで自分の行動を組織化し、彼の組織化が他の

人びと……によって妥当化される時、彼は……慢性的な逸脱の経歴をたどって行くのであろう。

http://www.r-gscefs.jp/pdf/ce10/sk01.pdf 白田(2014)

発達障害者が置かれる状況は経験的には引用したような状況であると思う。特に大人の発達障害者がSST(内容は詳しくない)を受けるということは、引用した内容と同じ経過を辿るように思える。だから、警戒するのである。発達障害の社会での賢い振る舞いのテンプレートとしても内容が察せられるものが出回っている。

私は左利きなのだが、左利きの者を右利きに治そうと無理をさせると心にトラウマを負わせることになり、その後、精神的に問題を抱えることは知られている。発達障害知的障害自閉症も恐らく同じ理屈が当て嵌まるだろう。

支援者は政府の自立支援法等に則り援助の名の元にSSTやら自立訓練やらのハラスメントを施し、せっせと発達障害者を心理的に外傷させている。それは左利きを右利きに改めさせようという暴力的な行為であり、だから心を病む。二次障害は私から見ると当然の帰結だが、それは薬や睡眠導入剤、安定剤を処方され無理やり抑え込まれる。

そして、自分が逸脱していることに分かりながらも、それ以外に生きられる術が社会から与えられず、また強制されて、精神的な無理を感じながらも自分にとっては狂気の振る舞いを続ける他無くなるのである。でなければ人でなしで死ねと言われる。だいたいはそれでも自己否定しながら自然に脱落するがそれが自然で正しい反応である。

ただ健常な人々にとって社会の言うことが全てで自己に決定権が無いので政府の言うがままに自立を押し付け、正直にリタイアする発達障害者の振る舞いはその正しさは間違いだと糾弾され追い込まれる。何というか、医療従事者においては、その対応を正しいものとして教え込まれるか、自らの方法を行う権限が無い。

発達障害者に公的に正しい支援をできる場が無い気がする。だから探しても正解は見つからないし、自分の頭がおかしいと思う他ない。ちなみに発達障害者の頭はだいたいおかしくはない。普通より論理的にできているくらいだ。なので理屈っぽい。狂って思い込みに走る場合があるようだが。だいたいダブルバインド的状況のせいである。それは社会的に合法的に誰もが精神的外傷を負わされているのであればそうなるだろう。

昔は精神病院に閉じ込められ、ロボトミー手術で頭の中を弄られ、今は警察で障害を無視して刑務所に放り込まれ、社会に合わせるようSSTやら自立訓練やらというパワハラ・モラハラを合法的に受けて一般社会参加を強いられ二次障害を発症すれば薬漬けにされた挙句、それで自立できなければ死ねと言われる。それでもまだ死なない発達障害者が多いのでストレス耐性が低いと言われても頑張ってると思うし、そんな社会で愛や平和を叫ぶのは正直どん引きだ。アフリカの人々が可哀想だと言いながら、我々を殺そうとしているわけで…。

そんな健常者は発達障害者を見下すわけだが、何というか無知っていうのは恥ずかしい。昔は教育という名の元に体罰を行い、偉そうにしていた教員が今はその行為を恥じ周りは人間失格だと後ろ指を指す。

まぁ、かつてのギリシャなんかの奴隷社会も同じ様相だろう。誰も疑問に思わないから自分たちが平和主義者で善人で犯罪など犯さないと信じている。けれど、教育だと言って体罰を行うのと同レベルのことは、現代でも横行してるだろう。

それは正直、将来、大きな過ちだとして教科書に載って良いような差別問題だと思う。恥ずべき歴史がこれ以上長くなる前に考え直した方が良い。何というか、やってることはロボトミー手術と変わらないので。100年後くらいの人々は歴史の教科書を読んでこんな野蛮で酷い世界に生まれなくて良かったと思いホッとするだろうと思う。それは断言してもいい。

私的に言うと、感性が時代を先取りしていて馬鹿にされるのだが、やっぱ自分はニュータイプだと思う(ぁ

先駆者はその時代にはなかなか認められないものなのだ。なぜなら認めると、その人も常識外れになり社会的排除の対象にされて攻撃されるから。群衆は賢く無いし、民主主義は衆愚政治だという。

まぁ、この手の理屈は当たってないとただの馬鹿だが。馬鹿でも良いが私は自分の頭を最終的に信じなければならない。それが精神障害者パラドックスだと思う。嘘つきのパラドックスというのがあるが。そして、割と信じていいと思う。少なくとも当事者の私は。

気狂い扱いされても、それで自分を嘘つきだと言うと、正解が無くなってしまう。よって、何も分からなくなる。

こんな世の中では発達障害者にとっては支援者も自分に無理強いをする敵であることが多いだろう。そして、そこには科学的な正当性が恐らくある。周りは政治や常識の言いなりで非道を犯し続けている。それが仕事だからだ。

そして、それで発達障害者が逸脱するのは当たり前である。決してストレス耐性が低いからではない(それ自体は事実だろうが)。耐えられない環境なのだ。精神障害者差別は現在進行形で野蛮だと思った方が良い。知的も精神も発達も恐らくは同程度だろう。

社会モデルというのは比較的新しい概念で、精神障害者に適応されたり、社会で環境が整備されたりするのには時間がかかるだろう。それまでは正当化された暴力に甘んじて死ぬしかない。何というか、ISI○に蹂躙されて対抗手段が無い住民みたいな話だ。移民も難民も他人事じゃない気がしてきた…。理不尽に晒されて逃げてきたのに、人間愛を叫ぶ国に出ていけ!お前の居場所は無い!死ね!と言われるわけだ。

まぁ、福島の汚染土を持っていけば、だいたい同じ反応である。

ただ、同時に何故そう思うかも理解することができる。それが負担で自分に危険を及ぼす可能性があり受け入れる利益が無いと思うからだ。今の世論を考えると、そういう人たちが歓迎される余地が無い。

受け入れるべきだという理由は人間の尊厳を大切にしたいからだろうか。私はそのモラルに価値はあると思う。弱者の側に立って自ら手を差し伸べる弁護士なんかは尊敬する。

日本を住みよく変えてきたのはそういう弱い立場の人の目線に立つ人たちである。というか論理的で同情心があって頭の良い人たちである。なんか大人とはかくあるべしと子供時代に思うような理想的なハイスペックの大人たちである。人の親であるかもしれない。何というか、愛情があるだけではダメで、忍耐と賢さが無いと賢明な選択はできない。逆に言うと、そういう人たちが懸命になって情報を集めて精査し日本を良くしようと足掻いてくれているお陰で社会は少しずつ良くなっているようだ。

例えば知的障害者なら親が声を上げなければ彼らの環境は良くならない。声が上げられない人たちの味方になって福祉を広げられるのは当事者の周りにいる心ある賢明な人たちしかいない。一当事者として言えば当事者だけではダメな気がするのだ。余裕が無く常に死に瀕しているからである。

2chなんかもそうだが、炎上するにしても、文殊の知恵みたいな部分がやはりある気がする。多数決の原理はマイノリティが排斥されるだけなので正しくは無いが、人々が言い合って問題を提起し解決策を探し合うという議論を重ねるような民主主義は大体光明が見えるような気もする。多数決は別に正しく無いが。その背景には科学的根拠やらがあるわけだから最終的に多くの問題は論理的に解決され得ると思う。私は物理法則が絶対であると信仰しているので。

まぁ、正直、精神障害者差別が緩和するまで気長に待つしか無いようだ。福祉が逆行しない前提で、あと15年くらいするともう少し良くなるのかもしれない。適当な勘だけども。

なぜ弱者救済が平和に繋がるかと言えば、貧困が犯罪の温床だからである。私は殆どの弱者は適切な環境で生きられれば犯罪者化しないと思う。まぁ、そんな将来は生きている内にはやってこないだろうが今の社会の延長線上にある理想郷である。そういう世の中では現在の差別問題は野蛮で信じられないだろうという観念の予想が先行し過ぎてるとか言ってたことで。

けど、少なからず人間の尊厳がどうとか言ってる人の中には、同じ未来を元に考えている人がいる気がする。まぁ、そういう青写真と現実のギャップを摺り寄せて今どうすれば良いか考えられるのが本当に賢い人なんだと思う。

私とかは現実は頭おかしいから抗議の自殺だ!ざまあみろ!という感じであり、もう少し賢明な人は、今は時代が追いついていないからワシは隠れて研究するしか無いのじゃ…とかいってその時点で社会的排除を受けずに自分にできる抵抗をする。耐えきれなくなって狂ったり、自殺したり、暴露して排除される者もいるが…。

本当に「ここは何時の時代かな」と思うようなことが、弱者の現実だと思う。まぁ、少し前まで若者を飛行機に乗せて特攻させてた訳なので、さもありなん、と思うけど。現代が未来だと思わない方が良い。歴史に記されるべき途上である。

何か大河ドラマみたいに「一つの歴史上を自分が生きてるのだ」と思うべきだ。その認識が正しい。人類の終着点を生きてると思うと割とすぐ自分の運命に絶望できる気がする。現代が最先端だと思うから恵まれて生まれて来られて当然だと思うのである。現代日本に生まれたことが幸運だの運命だのと思うような感じだろう。他国の人も恐らくだいたいそう思ってるだろう。

そういう認識が自分もリア充であるべきだ、という不平等感に繋がる気がする。

・・

正直、多くの発達障害者の適応障害と苦悩はそれらの異常者に社会参加しないでも良いという許しがあれば今すぐにでも解消できる問題だ。発達障害者の生存権を働かない権利と共に生涯保証すれば良い。それで自殺やら犯罪やら二次障害やらは大抵が防げるだろう。他の働く場所だのの難しい問題は後回しにすれば良いものを、そんな分かり切った簡単なこともできないでいて、自立のためには、しか頭に無い。それは社会側のマジョリティの「そんなことは許せない」という身勝手な感情ただ一つのためにである。そのために自分と異なる頭の中身をしている人間の尊厳を傷つけ侮辱し続けているのである。

あらゆる全ての社会がマジョリティのために組み上げられてきたマジョリティのためのマジョリティに都合の良いマジョリティに都合の悪いものは排斥される社会であることは全く触れられないままに…。

その多数決的感情はグロテスクで独善的でエゴイスティックな人類愛の欠片も無いものだ。

多分、本来の明るい感情を失わされているような発達障害者の多くが無償で生存を許されるなら、明るい感情を取り戻し、活発化し、本来の特性を活用して何か出来る範囲の社会貢献をしようとするだろう。けれど大体が鬱病で活発さや独創性を発揮する機会を奪われてしまっている。私としては健常者の監視下で発達障害者を抑圧して黙らせるより本人の好きに放牧しておいた方が社会にとってよほど有益で面白い結果を齎すだろうと思う。

だからこそ、健常者のあまりにつまらない感情から、そうした誰かの機会が奪われていることが残念でたまらない。そういう無形な利益を計算できないからジョブズなんて生み出せないのである。それは発達障害者を端から有益なものと見做しておらず、健常者より優れている可能性を蔑視から認められず自分たちの社会の常識で枠に嵌めようとし、都合が悪いので産んだ母親のせいだ、とか思ってるからである。

機械にでもできるような採算の取れない単純作業を二次障害を煩わせながら無理矢理やらせて鬱病にして良い面を全て停止させ、税金を投入し赤字を膨らませるよりは、望む者は消費者として自由に放任して、100人に一人の天才がどこぞから出てくるのを期した方がよほど日本の発展に資する。これは断言してもいい。

弱者が健常者の自分より楽しそうに恵まれた生活をできるのが気に食わないとかいう健常者の競争社会の調整不足の責任の都合を押し付けたルサンチマン的な感情の結果、そういう自分たちが利益を得られる可能性を不意にしている。

正直、誰も幸せにならない。