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LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の適当な日々の考察と日記

ベーシックインカム+生活保護

全ての人に基本的な給付を行う。月8万とする。

生活保護費を定める。14万とか。

生活保護は義務問わず国籍があれば。

手取りの最低額を決める。20万とか。

働く人が月20万以上の手取り額を貰えるとして、ベーシックインカムは無し。

働く人が月12万の手取り額を貰えるとして、ベーシックインカムを入れて20万。

働かない人、働けない人は月8万+生活保護6万+労働分(所得ー生活保護費)

年金を納めた人は、月8万+年金額=20万上限。要するに12万~19万まではベーシックインカムがつく。20万以上は付かない。年金だけで30万貰う者は30万の収入になる。

障害者はベーシックインカム生活保護障害年金=20万以下切り捨て

例えば、そのようになると良いんじゃないか、と思う。

ワーキングプアは自動的に上限20万でベーシックインカムが収入に上乗せされて解消される。

妄想ですが。

ベーシックインカム(BI)を月7・8万なら可能だ、という試算をするけども、それで最低限の生活ができるわけがないので、十分ではない。だから、その給付レベルならベーシックインカム自体は引きつつ、生活保護も必要になる。

老齢になれば年金+BIで生活保護は必要ないのだから、生活保護費分が膨らむということは無いと思う。

まぁ、それはすでにBIでは無いのだが。

老齢の老人の保護も生活保護ではなく、老齢者保護のように別に作った方が良い気がする。生活保護の中に少子老齢化で老人が雪崩混んでいくので、なぜか%の少ない若年の生活保護受給者が排斥を受ける形になってしまう。生活保護費を抑制しろというのが概ね老人のせいなのに若者にシワ寄せが行く。なので老人の社会保障とその他の弱者の社会保障は分けたら良いと思う。

アメリカの都市だかで疑似的に行われたBIの額は17万だったという。生活保護費は大体13万なのでBIにしても、その水準は求められる。中途半端なことをしても犯罪抑止などにならないし、その結果を建前に意味が無いと一蹴されてはたまらない。

というかBIがあるから福祉がいらないと言うのは暴論である。弱者の多くは最低限では生きられないのである。例えば自炊ができないとか、医療を受ける必要があるとか、健康な者より最低限の生活に必要な費用が高くなる。だから、それらの福祉全部を切り捨ててBIに回せば…という議論自体、健常者の身体能力を前提にした弱者切り捨て論である。

結局は、障害年金や医療費の負担減など特別扱いは必要になる。

発達障害者は「差別するな」と言われるが、この言い方が実に社会的障壁をそのままにしがちな元になってると思う。

差別じゃなくて区別しろ、というのだが、ピンと来ないかもしれない。前も書いたが「妊婦やお年寄りに席を譲りましょう」という中に発達障害者も入るんですよ、ということだ。

差別するな、というと「一般人と同じでいい優先シートなど必要ない」と受け取れてしまう。それではダメである。というかそういう偏見を大勢が持っているのが問題である。その結果、それが分らない発達障害者もいるが、まぁ、老人も女性も似たような人がいるだろう。

何というか、侮辱とか侮蔑とか、蔑視とかの言葉を使えば良いのかな?

差別というのは、そうするな、という話である。

だからと言って、差別・区別・分別ってのは必要だ。

社会的障壁を取り除くには結局別の部屋を作る必要がある。

社会という空間をリフォームして拡張しなければならない。

それは道路や地下鉄に点字表示を付けるようなものだ。空間を分けてくれなきゃダメなのだ。

精神障害者が投獄されていた歴史を見て、隔離するのはダメだという意識があるが、私は望む者は社会参加しない、隔離される権利があっても良いと思う。何というか、そこでその人にとっての人間的扱いをされてなさそうなのがダメなのである。

障害があって社会的障壁があって何をやってもダメでという能力的にダメなレベルだからと言って、赤ん坊と同じ対応をされるというのは自分より下等な相手だと見下して舐めている場合がある。そういう意識が差別だろう。障害や病気のハードルがあって困難な目に遭っている人なのだ、という認識が欠けていて、動物園の動物みたいな認識になってしまっていたり。知的障害者の支援者が障害者を馬鹿にしたような表彰をしていたが、あぁいうのは知的障害者を人間と信じがたく、なり損ないで、チンパンジーかゴリラみたいなものだと思った結果である気がする。まぁチンパンジーやゴリラだって十分にその動物の尊厳を守られた配慮をされねばならないと円山動物園辺りの問題で叩かれたはずだが…。

そういう差別意識は自然なものなので誰かに指摘されてはじめて気づくようなところもある。啓蒙されて変えていかなければならない部分だと思う。差別をなくすには学習する必要がある。マジョリティはマイノリティを自分の延長線上だと信じたくないのである。信じないでも彼らは過不足なく生きていける環境にいるから。でも人間というものの幅がアフリカの子供からテロリスト辺りまでも繋がっていて自分もその範囲に属する動物である事実を受け入れないといけない。その上で、そういう問題がどういう方法で対応できるのか考えないといけない。

それが恐らく西欧のヒューマニズムだろう。日本はテロリストは人間じゃない死ね!という感じでもあるので、そういう立場に中々立って物事を見られないようだが…。あぁいうのは貧困から出てくる凶悪犯罪者と一緒の扱いだと思う。生まれながらの絶対悪ではないのでそう見做すのはダメだ。原因があって普通の人間がそうなるのである。被害者にとって許しがたいのは当然だが、だからと言って人間じゃない、と全滅させても、あの辺の人々の貧困が原因で似たような北斗の拳みたいな人たちは出てくるだろう…。

そうせざるを得ないからといって、そこに絶対悪だという偏見を押し付けると、本質(根本原因)が見えなくなると思う。そして、人類に対する同情心も無くなる。将来的に敵の全滅より貧困の撲滅と教育と福祉がそうしたイタチごっこを終わらせる処方箋になると先を見通した方が良い。それで引き金を引く苦しみは増すが。

刑務所に入るために罪を犯す者がいるわけでしょ…。刑務所をもっと暮らしやすい人道的なものとして作り直して、そこに自由意志?で選択して入所できれば良いんじゃないの?と。自由意志が分りにくい人には審査を通った後見人を立てる。どうしても一般人と一緒の空間では生き辛くて仕方が無いという人もいるし、一般人側にも受け入れられない人というのはいると思うが。