LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の趣味と考察と日記を適当に

あの世なんて無い

あの世という存在をなぜ信じるのか。それもやはり身体二元論に兆すと思う。脳と人格とが別か、脳が特別だと思われている、と。

でも脳というのは内臓で身体の一機関だと捉えるのが適当だと私は思っている。だから、生まれながらに異常を抱えることもある、と。人格や個性を神格化すると、脳障害者差別が無くならないだろう。先天性の脳障害者に対する偏見も。

発達障害者として生きていると分かるが、大体、人格や性格と思われるものは障害の特性である。脳のタイプと学習の結果による選択性とでも呼べば良いのか。それを客観的にロマンティックに個性や性格と言うのに過ぎない。脳が持った判断の仕様、癖のようなものである。人工知能はいつか実現するんじゃないか、という気がする。その時に、人工知能と人間の人格や個性を分けることはできない。人権が自然的にあったのではなく人間は種というものを特別視して大切にするようになったに過ぎないからだ。

だから、仮にロボットが人権を主張するようなSF世界になったとして、

それが認められるかどうかは、人間次第。そういう意味では人間とアンドロイドを分ける大切なものというのは無いと思う。

但し、クローンと同じで同じ記憶を持っていたところで、その感覚はスタンドアローンなものだと思う。

コピペして2人の同じ人間を作れたとしても、二人ともその時点から別の時間を生き始めるだろう。

その時、そこには二つの人権があり、二つの人権が尊重されねばならなくなるはずだ。

だから、あの世があったところで、人格や性格は持っていけないから、結局、そこにあるのは私という個が不在の魂と便宜上呼んでいる概念に過ぎないだろう。逆に身体を持っていくのだとすれば、老いも病も全て持っていかなければ不自然である。私は身体を私と呼ぶのだ。それは、あの世を信じたいという場合、否定したいことだろう。何というか、あの世というのは都合の良い身体状態の時を選択してそこへタイムスリップできる前提が多いと思うのだが、無茶苦茶だろう。

仮にあの世があったとしてもそれは物理的な現象で、時間を逆行することは出来ないと思う。そして、そこに個の概念も最早無いだろう。それを人間と呼ぶこともできない。光以下のエネルギー未満みたいな観測不可能なくらいの量子テレポートできそうな物質に多くの性能を期待することは出来ない。脳を含めた身体が無ければ人格も非ず個も無いから、あの世に私を連れていきたいなら死んだ時点でその目論見は崩れ去る。

私というのは人間という全体を統合する中央センターみたいなものだ。

さて、日本人の民族至上主義というのは、ゴリラやチンパンジーは人間じゃないから食べて良いよね、という感じである。

知的障害者ダウン症者辺りもここに含まれて、人間じゃないから食べて良いよね、と思っている。発達障害はそこに含むこともあるし、デブとかブスとかいう扱いの範疇で憂さ晴らしの生贄にされる。どちらでも好きな方で扱いを選べる便利な人間だ。認知症の老人もゴリラかチンパンジーと同じだから食べて良いよね、と思っている。ホームレスや犯罪者もそんな感じに思われている。

そういう認知が人を無慈悲に暴力的にしているのだと私は考える。彼らの暴力性は人を人の範疇に見做さないことで実現されているはずだ。そして自分は人間の範疇に入っている。彼らが見下している弱者は人間じゃないからどう扱ってもなぜ自分が批判されるか分からないだろう。犬食の文化で生きてきて犬を喰って批判を浴びるのと同じである。

暴力性それ自体より、その人の中でカテゴリーがずれているために、同じ人間を違うものとして見做し、血も涙も無いかのように扱える訳である。

何というか板前がフグを調理するのに似ている。私はグロくて見ていられないが、あれは自分の中でスイッチみたいなものを切り替えて都合の悪い残酷さはシャットダウンしてるんだと思う。医者なんかは大抵が切り替えられる人だと思う。私は切り替えに向かない人間だ。その同じ(正常な)機構が文化的・環境的な歪さの中で他のカテゴリーにいると見做される人間に発揮されると簡単に人権を無視してしまえて、かつ信じられない暴力になるのだろう、と。

老人ホームの事件や知的障害者差別の事件があったが、そういうことが出来てしまうのは、上述したような人権意識の狭さに由来するものだろう。彼らにとっては同じ日本人以外は自分と同等の人権を持たないのであろう。外国人労働者や移民、外国人実習生に対しても同じような考えがあるから醜態を起こす。そして、間違ってるなんて思ってなかった、というのである…。そもそも彼らにそんな権利があるとさえ感じていなかったところが哀れである。これで文化的な先進国を名乗れるのかと…。

これは発達障害者よりも普通の健常者が陥りやすい心理状態である。

ある意味、普通の脳だからこそ、そう考えてしまえるような気がする。

ここに反発を抱く人は、健常な脳が完璧だ=人間は完璧だと思い込んでいる。

人間は尚生物の進化の途上の動物の一種であり、その性質は未完全である。

表面的に他人に礼儀正しく振る舞っている人間の中にも、こういう差別意識を潜在させて、基本的に誰かを見下せると思っている人が多い。その人は前述した人と心性的には同類で文化レベルが低く自分の頭で差別について考えたことがない人たちだろう。教養もモラルも低い。

昔の日本人は牛や馬に対しても同様のモラルだった。そういう市民性が全然変わっていない。

今も昔も生類憐みの令とか一々出されないと気づかないしやらないのである…。タバコが有害だと何時みんなが気づいたか…。

そのようなモラルが横行しているようでは先進国とは呼べないと私は思っている。その辺が高度経済成長で急激に発展したからと言って、その発展の犠牲に捨て置いてきてしまった価値観なのだろう。現在の中国を見ていても分かると思うが…それで他人を野蛮だと笑えないのが日本の民度だと気づいてる人は笑えないと思う…^^;平昌オリンピックであれだけ馬鹿にしてたのが今度は自分たちの番だ…選民思想の馬鹿ばっかである…。

自分たちが人間的に優れていると思うのであればこそ、まず選民思想が合理的じゃないということに気づかなければならない…。これをパラドックスというべきか、ジレンマというべきか分からないが。