LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の適当な日々の考察と日記

社会主義と自殺率

社会主義的な国の自殺率は高いそうだ。

働けない者を国が養う必要は無い、と思う日本人が38%いたというデータがあった。2012年のデータだそうだが。

ハンガリーで自殺が多いのは、そうした思想が強く、老人が自死に追い込まれるらしい。

難民の劣悪な環境も恐らくそうした自業自得的な基本的思想に基づいている気がする。

一方、ドイツやフランスなどは、こうした思想を持つ人間が8%程度だそうだ。

結局のところ、日本国民は第二次大戦を国のせいにしているところがある。

自分たちのせいではない、という日本国民と、自分たちのせいだと思うドイツ国民の国民性の差だろう。

個人主義や主権者意識の違いを感じる。

これらの人道思想の国の生活保護の保護率は7割5分ほどあるそうである。日本は20%程度と異様に少ない。

生活保護社会保障費も少ない等、弱者保護に対する考え方に問題がある。

手を伸ばせない人間が基本的に見殺しにされやすく、それを当然と考える心理も民衆に割と残っている気がする。

勿論、インターネットという水面に映る一面の写像がどの程度、実像を映すのか定かではないが^^;

ただ、これらは社会問題だから個人の努力の問題では無い。個人の努力で偶然回避できる人間は極一部だろう。

社会の構造が変わらなければ基本的に多くの人間は社会問題の渦中に巻き込まれることを回避し得ない。

集団自衛権云々よりも「働かざるもの食うべからず」「郷に入りては郷に従え」というような自分と同じでない人間を単純に許せない精神を当然としてしまえる同調圧力の方が、よほどファシズムの温床になる。なぜ同じでないのかと忍耐強く考え抜こうとする精神的態度が他者理解、協調性、多様性に繋がり、民主主義の自浄作用になるのだろう。人道主義というのは民主主義の重要な自浄作用の装置だと私は思う。その摩擦や抵抗が無ければ組織は腐敗する。

組織の腐敗は大体、空気を読んだ結果であろう。過労死するほど空気を読まなければならないというのは異常である。

結局のところ、弱者の置かれる社会的障壁と困難、歴史的に形成されたイデオロギー、大衆の生き辛さ、それらは根底で繋がっている問題だと私は感じる。

それらを個人の問題に全て帰し、努力の多寡の問題にすり替え、全て押し付けられて、はいそうですか、と納得してしまえる神経は放り捨てた方が良い。努力することに意味も価値もあるのは認めるが、社会問題とごっちゃにして格差の問題から論点をずらさせようとするのは気に入らない。

自分の置かれた環境に応じて努力して届く射程距離は個別にして有限である。所謂、勝ち組・負け組なんてものは、個人の責任はあまり大きな問題では無い。私のように生まれながらにして社会のレールが外れているものもいる。

そのことまで自分の責任だと背負おうとする人間が多くて辟易する。

ある程度、社会のせいだと、正当な言い訳を許していかなければ、社会が良くならない。

いいわけしない、というのを男らしいなどと考える不良が好きそうな愚かな考えを称揚する傾向も見直されなければならない。

個人をないがしろにし無理をさせ抑圧するだけだ。

健常者は、その辺の考えを下手に内面化させないで欲しいと思う。

体罰をしつけだと思うのと同じで、それが普通で当たり前なことだと思い込んでしまう。

別にだから開き直れというのではなく、全てを自分の責任に帰して問題を整理、検討せずに、

放置したまま、首を吊ったりする人もいて、なんら建設的じゃない。

そうするくらいなら弱音や言い訳をしてぶっちゃけた方が後の世のためだと思うのである。

自分のせいだ、責任を取るなどと言って、死なれると、私も黙ってそうしなければならないような気がする。

まぁ、言い訳だって結構スキルが要るのは分かるのだが。

まぁ、だからと言って遺書の一つも残さないのでは、何時まで経っても、弱者の状況は良くはならない。

ならば死ねと言われるだけである^^;みんなそうしている、と。

酷い話だ。

正直、努力なんてもう少し良い環境で育った健全でバイタリティのある誰かがしてくれる。

二次障害で鬱病になってそもそもやる気なんて出ない人間が無理してしなければならないほどのことではないだろう。

皆が努力しなければならない、なんてのもどうかしている。

中には、生きるのに向いていない、と言って自殺する者もいるのだ。

労働を妙に万人の義務化している国で自殺率が高いのだそうだ。

万人なんて一色なものはいない。なのに、ただ安楽にみんな同じだと私たちは思い込みがちなのだ。