みんな戦争になるのは国が悪いと言うのですが、歴史的に言えば、自分たちが悪かったわけですね。
大衆が扇動され民意が戦争肯定に傾く、と。私は普段暮らしていて他人に関わる中で日常的にその根を見つける。
日本人の処世術そのものが私からすると物騒です。排他的で。
カラオケにいかない、というと、そんなんじゃ生きていけない、と返される。
旅行にいかない、というと、みんなやってる、と返される。
普通なんて無理、というと、努力すればみんなできるようになる、と返される。
食べられない、というと、好き嫌いは良く無い、と返される。
右手じゃ書けない、というと、右手でやるものだからダメだ、と返される。
自分は○○しない、というと、あなたのために言ってるのよ、と返される。
まぁ、全員がそうとは言わないんですが、そういう説明で終わらせてしまおうという人がどうも多い気がする。
それ以上、考えるのも惜しいと。それがルールだから、仕方ないから、みんなやってるから、
黙って聞き入れろ、それが賢い選択だと。
全体主義、社会主義、同調圧力、そういうのが自分たちのことではない、と言いたいような人は多いのだが、
大体上述のように周囲から返されることが多いことを考えると、自分たちでその空気を作り上げているのは明白だ。
それらは最近増えてきたというより、第二次世界大戦の頃からある文化的性質だろう。
DVが増えたという記事があったが、あの報道も適切ではなかった。
面前DVという種類が増えて、DVとして検知する範囲が随分広くなったのである。
以前はDVとされていなかった行為がDVの範疇に入ることになった。
その結果、40%なり前年比より増えたように見えるというだけの話だ。現実はそんなに急激には変わらないはずである。
老人が自動車事故を起こしたという報道も意図的に掲載しているように感じる。
高齢者の運転が危ないという世論を作り上げることに寄与することだろう。
偏った民意を作らせるのは扇動と変わらない。
集団自衛権より、こうした民衆の意識の方が放っておくと危険である。