LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の適当な日々の考察と日記

犬が射殺された話

愛玩動物でさえ日本ではモノ扱いなので命が軽いんですよね^^;

軽傷を負わせただけで射殺。それを当たり前だという人がいるのが何ともグロテスクだ…。

鯨の話でも苦痛を長引かせるのは良くないと批判したのは海外で、

外から批判されねば変えなかったんじゃないかという気がする。

今回も類似の事件が多いのだそうだから、

最低限の苦痛で犬を捕らえられるような手段を開発しとけばハチの巣にすることも無かっただろうに^^;

どこだったか犬・猫に人権を与えたというニュースがありましたが、多分、

その辺なら人を噛んでも最悪殺さなければ死刑にはならないということなのかもしれない。

ただ、勿論、殺してしまった事件もあるし、飼い犬を噛み殺したという事件もありましたね^^;

映像を見るに本当に体長120㎝だったのか疑問。大型犬と言っても、芝くらいの中型犬程度に見えた。

それと飼い主は犬を叩き慣れてるんだろう、という感じがした。噛まれて即座に殴り返してますよね。

そういう対応がこれまでに何度も行われてきたんじゃないかな…。

正直、タバコと同じで犬の躾もちょっと昔はもっと酷かったので、この飼い主の年齢を考えると、

そういう昔の感覚で飼ってる人なんだろうな、と思った。

年取ると少なからず時代の流れについてこれなくなるもんなので^^;

野良犬とか普通にいた時代でしょ。今は大分少なくなったんじゃないか、と思うんだけど。

そういう時代の繋がりを考えると、警察の対応も「まぁそうなるかもな」と思うんですよね。

通例、そういう対応をしてきたわけですから。

だって、犬猫の殺処分だって未だに酷いじゃないですか…。

あれも殺処分0にしよう、って言うところが出てきたのが最近ですしね。

日本は正直ペット途上国なので…^^;

昔はペットの葬式なんかせずにゴミとして処分っていう世界ですよね^^;

だから、「当たり前の対応をした」と言われても理解はできるが、無批判に納得できてしまえる人には、

それがこれからも「当たり前」で良いのかどうか、という意識には疑問を持って欲しい。

殺処分数が0というのが当たり前にならないと人に危害を加えた犬がどうとかいう話にならないと思うけど。

結構、犬猫の話と社会の弱者の話って繋がってて、それと認知症の人への暴力とかも繋がってくると思うんですよね。

知的障害者への暴力とかね。虐待っていうけど、イメージとしては下等に扱われている感じで対等じゃない。いじめ、という語への批判と同じくそれって対等な権利を持った相手への暴力であり犯罪行為なわけで。

そういう意識を捨てられるんですよね。

食育みたいな話で、豚に名前を付けたら食えなくなるでしょ?みたいな。結構、そういう区別を人間はしてるんですよね。でも実際は豚も牛も犬猫並みには賢いので^^;そして、その区別は結局、知能で判別するもんでもないので。知能で判別すると認知症の老人、知的障害者とか知能に障害を受けると人間じゃなくなってしまう(苦笑)それは、結構根深い気がしている。そういう見方をしている人が実際にいるんじゃないかなーと私は疑うわけですが。

犬とかも同じで、犬畜生とか言ってる人は、多分、人間に対しても同じような情の切り捨て方を持ち込む。犯罪者は人間じゃないみたいなね。けど、そういう考え方は私からすると色々なディティールを無視し過ぎ。なぜ豚や牛を食べて良いのか、とか考えても仕方ないからと言って彼方に問題意識をぶん投げてるというかね。

私的にはぶん投げられる側にいるのでそういうのはやめてほしいんですよね(笑)姥捨て山とかに捨てられる側の人間だから。豚や牛を食べざるを得ない止むを得ない状況でも、その問題自体の存在まで無かったことにしないで欲しい、というか。

難民とか人道思想が無ければ迷惑だから死ね、ってなりますよね。現に^^;で上述したようにぶん投げると、きっと、彼らが戦争の犠牲者でそんなことが起こらなければ私たちと同じように普通に暮らしてる普通の人たちだというディティールを無視すると思う。

私的には、面倒でも、そういう事情を考慮しなくていい者なんていないと思うので物事をよく考えたいですね^^;受け入れられないという事情があって、回答が同じでも、それで難民という存在の意味まで歪めるのは違うんじゃないの、と。

自分の自尊心というかモラルが傷つく状況を避けるために、事実自体を歪めて見ようとする、というか。自己正当化の防衛機制なのかな、という気がするけど。