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LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の適当な日々の考察と日記

リアルとネットの乖離

リアルとネットの乖離

というのが私みたいな他人と関わり合わない人間が常に頭の隅に置いとくべき問題意識。

リアルが正しくてネットは間違ってるというわけではないが、ネットもリアルも物事の一側面に過ぎない。

私は健常者の他人との繋がりがそれなりにある人たちの間で共有される情報ネットワークによって、

どういう情報がやり取りされているのかよくわからない。

ただリアルでの情報共有は場所や距離が結構重要になる気がする。その人の社会階層や職業、所属とか。ネットだとそうした場所や距離が無くなり匿名化する。『顔のない裸体たち』という平野啓一郎の本があったんだけど、まぁ個人という顔を抜いた時にどう振舞えるのか、という結果がネット(匿名空間)では出てきやすい。その結果は良し悪しがあるだろう。

簡単に言えば、リアルでは慎重になりやすいし偽善に振舞いやすい。組織の擁護に回りやすい。ネットではリアルの処世術的な他人への配慮というポーズが物理的に抜けるため、欠けやすい。陰口をオープンにしてしまえるような感じだろうか。しかし、批判もしやすい。

ネットや新聞でアンケートでこれだけの数字が出たというのをよくやるが、統計は母数の質が大事だと言っているブログがあって、私もその意見に同意する。100人の村の話で100人の富豪に話を聞いてきても、貧乏人が誰一人いない世界になるだろう(苦笑)

普通、どういう集団にアンケートを取ったのか、ということは、とても重要である。統計の妥当さは殆どその辺で決まってしまう。普通はそうなのだが、メディア関係は、どういう集団にアンケートを取ったという情報はあまり明記されないものが多い。五輪エンブレム問題も本質はそこで、コンテストという公平性を騙って、実際には自分たちに都合の良い建前を作る方便として統計やコンテストや賞や選考という批判され難い言葉が使われていることが多い。

個人的には産地偽装と同じで消費者を騙して利益を得ようとしているわけである。エンブレムの利権構造とネット炎上のフリーライダーとは分けて問題を考えるべきだが、何故かネット炎上vs佐野氏という構図になっている人が見られる。100歩譲ってパクリが問題無くても身内贔屓で出来レースで真っ当にデザインを送った人間が最初から選ばれる余地などないようなコンテストの受賞作品が五輪エンブレムに相応しいわけが無い。

デザインが似通るのとは別に明らかにアウトな問題があるのに何故そこをもっと報道しないのか…。メディアや業界がそのように腰が抜けているなら、ネットで多少炎上しようが真実の追及の徹底は必要な自浄作用だろう^^;リアルでは寧ろそういう力は振るえないのではないか。

但し、リアルがネットのように配慮を欠いた自由な状態を許すようになると、人権やルールを侵害して良いという考えに至るようで、問題になる。