衛宮士郎みたいな人いますよね。全ての人間を救わなきゃいけないんだ…!
それができないとは言わないけど、一人ではできないですよ。永遠の時間があったとしてもね。
全てを滅ぼして自分だけ救うなら全ての人間を救えるけど。
永遠の時間があったとしても、他人の協力が無ければ全員は救えないだろう。
一人でできることには限界がある。物理的限界ですね。多重影分身が使えれば分からないけど。
分かり易い悪の親玉=魔王がいて、そいつだけを倒せば全員救える世界じゃ無い。
隣の引きこもりを助けるにも凄くエネルギーが必要で一人助けるだけで疲れちゃうそうです。
一人当たりの人間に助けられる人間って数えられる程度でしかない。
私なら自分自身さえ助けられないかもしれない。
人助けをしたいという気持ちは形而上学的に考えるものではなくて、
実際に困ってる公園のホームレスだとか実在する人物を目の前に直視しなきゃ始まらない。
パソコンのコピペみたいにデータだけの存在じゃないってことを忘れてしまえる。
人類全体とか大きすぎる数字はある種のリアリティを喪失させる。
例えばマネーゲームをしている人と商品の袋詰めをしている人たちとでは見ている世界が違う。
外科的治療を必要としている人間に対してマネーゲーム的な考えで自分で患者を救うことはできない。
金を出すことはできるかもしれないが助けるのは別の人間である。
その辺を同一視すると自分が何でもできると勘違いする。一人では何でもすることは無理である。
人類全体を救いたい、と言う時、その人たちの顔と名前が全て一致するだろうか。
しないとしたらあなたは誰を救いたいと言っているんだろう。
人類という種を救いたいのだ、と言う時、その響きは世界征服してやろう、というのと同じ印象だ。
勿論、世界からエイズを無くすのだ!とかそういう目標なら良いと思うが。
ただ人助けをしたい→人類を救いたい、という質感の違いは相当あると思う。
だから、よくあるテンプレの、
人類を救いたいという人が目の前の子供一人救えなかった…と嘆くのは間違いである。
目の前の一人を助けるのと人類全体を救うのは最早、別種の目標設定だからだ。
それは、ポテチにするかチョコレートにするか、くらい違うのである。
だから一人を助ける人と人類全体を助ける人は別々に考える必要があるのだ。
子供たちを助けたい、と言っている人は目の前の一人一人の実在する子供を助けたいのか、
子供という特定集団にまとめて利益を与えたいのか分けて考える必要がある。
その区別ができないと上述したヒーローのテンプレみたいな混同した嘆き方をすることになる。