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LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の適当な日々の考察と日記

ドローンって要はラジコンヘリですよね

最近、沈静化してきたかな、と思うんだけれど、ドローンというのが脚光を浴びた。流行語になるんじゃないかな、と思うくらい新しい言葉である。ドローンというのは言わばラジコンヘリ・飛行機にカメラを付けたもの(遠隔操作できる)であろう。

 

じゃあ、それってもはや、ラジコンヘリ・飛行機じゃん、と思うわけである。陸上ドローンとか出てきても良いはず。

 

まぁ、ドローンというのが要するにラジコンヘリだとすると、それをどこでも飛ばして良いというルールは昔から無い。公園でさえ自粛されるものだろう。どうも、ドローンだから(ラジコンヘリじゃないから)どこでも飛ばして良い、と思うようなイメージが流布していると思うが。

 

軽く調べたところでは、法律にはラジコンヘリを飛ばしてはいけないという法律は無いらしいのだが、暗黙の了解というべきだろう。それらは公道で飛ばしては危ないからダメなのである。ただ企業等、法律的には~という言葉で利用できるものは利用してしまうので、やはり明文化して法規制しなければいけない、ということになるのだろう。

 

というか、アップルの特許法違反等を見るに、違反しても罰金を払えば、構わないのだろう?という感じのものさえ見られる。あるいは「バレなければ良い」と言い、バレると「みんなやっているのに」というのである…。そして、それは「したたかなこと」であり、賢いことだ、と言う。周りに吹聴して唆す人間がいることが問題である。

 

親、教師などの周囲の大人が子供(私)に向けて、そのようなことを言っていたことがあるのだが…。そして、教師に至っては「したたかで賢い」方法を日頃選択していたが故に教職を追われていたが…。まぁ、ある書き込みで知っただけで真偽は確認していないのだが。「情けは人のためならず」と私はよく書いているのだが、自分が道徳心を持とうと努めるのも、周りの環境を良くするためであり、かえって過ごしやすくし、自分のためになるからである。

 

不道徳や不法を冒せば、周りもそうするので、そのとばっちりが自分に返ってくることになる。「みんなやっている」では私たちは困るから私はやるまい、と決意し、大多数の人は自らより賢明であろうとするために治安が守られるのだろう。まぁ、互いに監視し合う風になってしまっている場合もあるが…。

 

だから、それだけで集団的な治安・モラルが守れるというわけではない。勿論、抜け駆けして狡賢い手段で利益を貪ろうという人間が出てくるわけだが。まぁ、許されない行為については法制化し罰するしか無くなるのだろう。ただ法律の問題では無く、基本的に我々は互いに配慮し合うことで住みやすい世の中にしましょう、という暗黙の了解の元で生活していると思う。そして個人は個人でモラルや道徳を持とうとするのがまともな人間だろうと思う。

 

まぁ、暗黙の了解は他人に強いることでは無いと思うが。それこそ「狡賢くしたたかに生きるべきだ」とある教師は私(たち)に言ったがその人は恐らくそのために辞職した。そういう暗黙の了解は限定的で私的なルールに過ぎないことも多く、基本的に妥当性は私自身が峻別せねばならないだろう。

 

ドローンで宅配という案があったが、そういう文化になって空中を小型ヘリが飛び回り時に接触したり等して堕ちてくるような心配をして街を歩きたくない。みんなが飛ばせる自由を得るということは、そうなってしまう可能性がある、ということである。空中に道路と交通法は無い以上、無規制で良いはずが無いものだという想像が付く。そういう想像力から普通は自粛するだろう。普通は。

 

前回のワーキングメモリーの話を考えて貰えば良いが…。人によっては分からないのである。考えれば分かると人は言うが、考えないから分からないのである。あるいは想像も付かない。「面白いから」「便利だから」「楽だから」「迷惑かけてないから」「やりたいから」「欲しいから」「ほかの人もやってるから」「できるから」「行けるから」「辛いから」「楽しくないから」「憎いから」「権利があるから」…とかのどれか一つで説明は終了。実行。というのが短絡的な思考というものだろう。

 

多分、滾々と説明されれば理解して貰えることも多いと思うが、世の中はそこまで私に親切にできていない。最近は何を聞いても「ググれ」と言われるとか。「自分で考えろ」とか言われるわけである。「言い訳をするな」と言われた後で「報連相をしっかりしろ」と言われたりする。

 

ちなみに他人に相談するのも私は何を相談して良いのか、そこから分からない場合がある。確かに行き詰まり困っているのだが、何に行き詰って困っているのかが分からないのである。

 

そのように思慮の浅い人たちには中々生きること自体苦難が伴っているのだろう。命の電話にかけても、発達障害の支援センターに電話をかけても、まだ再配達申し込みセンターの音声案内の方が問題解決の手段として優れていると思える。私自身私の気持ちを言葉にするバイリンガル装置が欲しいと思う。今日何を食べたいとか脳味噌に直接聞きたい。「自分の気持ちを言葉にして伝える」ということは結構高度なことなのだ。

 

その手の能力が十分で無いために、過ちを犯してしまうという人がよくいるのだろう。考えれば分かることでも考える能力が欠けていたり、認識が足りないとか考えてないから分からず失敗するのである。失敗して初めて分かることもあるが、一度の失敗で人生は台無しになることもよくある。世の中の悪人の数を数えるより、こちら側の人間の数を数えた方が数は大きくなるんじゃないだろうか…。

 

ドローンみたいなものを面白いからと安直に飛ばすのも、歩きスマホもやめた方が良いと忠告しておこう。