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LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の適当な日々の考察と日記

履歴書は手書きが良いのか、ということ

とりあえず、氏名、志望動機以外は印刷させて欲しいな、と。人によって百枚とか履歴書を書かなければならなかったりするのです。就活後ろ倒し、とか言ってるけど、就活に掛かる労力を軽減してあげるというのが重要。

 

但し、字を見るということも私は大切だと思う。

 

例えば、学歴などの情報をPCに記録しておいて、ハロワで履歴書発行(20円位?)すると志望動機や自己PR以外入力された履歴書の書式が印刷できるとかだと便利だと思う。自己PRくらいは修正してもいいんじゃなかろうか…。

 

字を見ると大体、ADHDとかバレる…。器用さは測れる気がしますね…。面接は、そういう問題のある人を落とすためにやるものだと思う。←私って落とされる人ですが。まぁ、それで落とされる人を適当な雇用に繋げられる仕組みも大切。

 

200社叩き落とされて鬱になる前にね。鬱病は一度やると再発しやすいので折れた時点でその人のパフォーマンスは生涯に渡り一定落ちると思うんですよね。二度と鬱になりたくないと思って行動にセーブがかかったり、ネガティブな意識が一部慢性化したり。

 

それって、酷い損失になってると思うんですよ。計算できないだけで。自殺がどれくらい経済的損失なのか?みたいな話で、不適切な労働環境による生産性の低下はどのくらい経済的な損失になっているんでしょうか。

 

統計上の数字しか数えない人は、現在可視化されず数えられない数字は自分には計算できないのだ、ということは弁えておくべきです。例えば最近、被虐待児が急激に増えましたが、これは例えば「夫婦喧嘩を見せるということも虐待に含む」という風に定義が広くなったことに依るらしい。

 

例えばWM(ワーキング・メモリー)の話ですが、ネガティブな言葉に晒され続けた後の脳のパフォーマンスは落ちるらしいんですよね。精神衛生や疲労を計算にいれ始めたのは最近のことです。そういう部分は特に数字に入れ込んで無く、人間を機械の代替物と考えてしまう人がよく見られますが…。そういう考えが適当じゃない(正しく無い)から間違った部分から破綻していく訳ですが…。

 

まぁ、優秀な人を選別するのは良いし、劣った人が選考から外れるわけだけれど、その人たちの行き場を考えないようでは…こう…銃を乱射されたりするわけで。8~9割は適当に就職できるんですけどね。人間は偏差値があるものだから、結局、発達障害とか被虐待児とか何かしらの不利があって、どうしようもなく振り落とされる人って少数でて来るので。

 

選別するのは良いんですけど、一等米だけを選んで、二等以下は処分、みたいな仕組みが全部に渡ってしまうと、私みたいな障害者は社会に居られなくなるので。現在も身障者は一般雇用しても良いけど、精神障害者は断じて断るみたいなのが多いらしいんですよね。

 

まぁ、そう考えるとそのレベルの人たちは授産施設でも仕方ないんだろうけど、劣悪な環境にならないように工夫しないとダメですね…。虐待される数も多すぎるので。一定以下の人の扱いはやっぱり一定以上の人の扱いと同じく、一定のレベルの人の扱いから外れるんですよ。一定以上の人はグループに入れるより好きにやらせた方が成果をあげるだろう、とか。一定以下の人は最低賃金を払うほどの生産性も持て無いとか。

 

私のような発達障害者は基本的に就職活動に向いてないですよ。私のような人間を弾くための仕組みが面接でありグループディスカッションであり志望動機を書くことであり就活な訳だから。就活ってのはマジョリティのために作られた道具みたいなところがあって。

 

右利きの人は良いとしても、左利きの人はダメみたいなヤツで、そこで「全員が捌けるはず」と信じていること自体が本当は幻想です。「注ぎやすく鋭角のあるお玉」ってあるじゃないですか、あれって右利き用で左利きではどうやっても使えませんよね。

 

私が言ってるのは、手書き履歴書でも面接でも選別することは良い。けど、左利きの人(例え)をそこで同じように選別できると考えているとすれば、それはフェアじゃないですよね、という話である。今でも適正テストとかありますけど、あれは本当に向いていない人を振り分けられないんですよね。

 

私の時、幾つかは適正職が芸術家とか詩人とか書いてありましたよ(苦笑)それって、どうしろというのか…っていう。そういう時に身の振りようが無いんで、あぁ無理だなって人が出家できる寺みたいな避難的な場所でも良いんだけど、選択肢が欲しいなと思う。

 

昔は、そういう人ってヨーロッパだと仕方ないから牧師とかになったりね。縁故で。まぁ、それだって家族が養ってくれるみたいなもんなんですが…。その手のセーフティネットが今は個人主義で少なくなってきた部分もあるみたいなので。そういう人の行き場も本来国が作らないとダメなんですよ、という話。

 

その上で、選別なりすれば良いと思うし。200枚も履歴書書く気力は私には無いですね。フリーターって結構、面接自体がその人にとって高い壁だからって人も多いらしいんですよ。自営業とかも多分ね。昔は日雇い労働とかあったのが、今は派遣にとって代わってるけど。結局、面接や人間関係が重くて、そうせざるを得ないような人がその中にはいるんだろうな…と。ただ不安定な労働も望む人は少ないと思う。

 

わがままだとか自業自得と言われるかもしれないが、それはある程度こなせる人から向けられた言葉であって、私は環境に誘導されざるを得ない部分が強いと思う。

 

要は義務教育中に不登校になってしまうタイプの人がね…。そういう人は正社員も辛いだろうと思うな。その辺のマジョリティがマジョリティのために作った競争社会の原理がそれ以外の人も平等であることにして巻き込んで当然だと思うなら、それは不適当だと思うという話。

 

そして、企業面接というのは大体、そういうものでしょ、という。だから、ある種の人たちはマジョリティというグループの競争に巻き込まれているのだと思う。そういう意味では履歴書なんてそれらの人たちにとっては書く意味は無い。手書きでも印刷でも。「この人私と同じまともな人間かな」と図られているのだとするなら。私は「まともな人間ではない」から。

 

仮に受かっても私が彼らが望んだ人間では無いと私は信じられる。私は望まれていないのに居たいとは思わない。生活が掛かっているからというような理由で適性の無い望まれていない場所にしがみ付き続ける気になれないんですよね…。逆になりふり構わないなら履歴書の時点で不正でも何でもしますよね…?正々堂々、正直にやったら、私なら、まず通らないんだから。そして私を通さない判断が正しいんですよ。私は私を通さないような判断を下せる会社は見る目があって、まともだと思う(笑)

 

えーと、女性が管理職になるのは難しい、というくらい、ハンディキャップのある人間が企業にまともな就職をすることは難しいだろう、ということ。出来たとしたら、それはエラーですよ。企業側の失敗か気まぐれ。あるいは悪い企業。

 

公正な審査なら通らないのが正しい。女性に能力が仮にあっても%として殆ど管理職にはなれないようなものですよね。それはそういう成り立ちで社会ができてきたせい。黒人でもそうだけど、白人社会で人種差別していない建前として数人は入れるかもしれないですけどね…。黒人を何人入れました。女性を何人入れました、という。男性が何人とか白人を何人とか言わないですからね。

 

要は、履歴書を手書きにする意味があるとか無いとかいう人ってのは、その「言わなくても良い」層にいる人ですよ、という話ですね。でも、その人たちって200通も履歴書書かなくて良いんじゃ無いの、という…。手書きでも手書きで無くても差別されるんだから。逆に言うと「その層」にいるなら、手書きかどうかは問題じゃ無いとも思う。

 

あまりにも手書きで苦労しているという層は、それ以前に何か別の断層があるんじゃ無いか。自分の能力以上の、あるいはミスマッチの会社を希望し続けているとか。まぁ、ある程度は競争率的な運だとしても。

 

まぁ、何れにしても、労力を考えると、最初に書いた結論と同じで、手書きは名前と志望動機くらいで良いと思うが…。名前はサインとしても、志望動機以外、どの会社に出すにせよ、同じ内容なんだから。