LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の適当な日々の考察と日記

楽しくても疲れるということ

私は体力が無い。

すぐに疲れてしまう。

 

昔は楽しいことだけして生きていたいと考えたこともあったが、今は楽しいことでも疲れるならしたくないな、と考えることが増えた。

 

人生は楽では無い、とかその手の展開は不要である。楽だろうが辛かろうが私は疲れるならしたくないな、と考えるだろうから。

 

甘え!=終わり。で話を終わらせてはいけない。「疲れ」は歳を取るほど、体力が衰えるほど、気力が萎えるほど、生きる上の課題としてランクインしてくる問題だと思うからである。

 

楽しいことや苦しいことを押しのけてグイグイくるのである。だから、ここ最近は如何に休むかを考えている。昔も不登校の言い訳を考えて時を過ごした訳だが(むむむ

 

言いわけが無粋だという文化は悪いものだと思う云々…

 

休む=休憩である。心(精神)と身体(肉体)を如何に休めて日々を生きていくか、ということがQOL(生活の質)に深く関わってくるだろう、と私は感じている。

 

楽しいことをするにも苦しいことをするにもエネルギーが必要である。心が折れる時には大抵「もう疲れちまったよ…てへへ」という感じで「疲れ」を言い訳にする。

 

重要なのは「楽しいこと」でも「疲れる」ということである。恐らく単純に「楽しさ」の中に耽溺したとしても、いつかどこかで心が折れるだろう。

 

だから、所謂、「楽しいことだけやっていたい」という夢想も実際、苦しい生活になりかねない。四六時中アドレナリンを放出していたら、それはそれで辛そうである。若い頃はそういう生活を夢想するものだが、それは年寄り(私)に言わせると苦しい生活を自ら選択するに等しいのである。

 

恋愛や結婚も流布した価値観の上では「楽しい」「幸せ」が永遠に続くようなイメージとして語られるが、それは「疲れる」だろうな、と思わせる。そういう生活を演出しようとして「楽しくて」「幸せだ」と自分を演技させ続けて疲弊していく有様が目に浮かぶ。

 

苦しいことが疲れるのは当たり前だと思われているが、楽しいことが疲れるのはあまり一般的では無いと思われるから指摘しておきたい。

 

楽しんでいた趣味をやめてしまう人についてなぜだろうと思ったことがあったが、もしかしたら楽しむこと自体に疲れてしまったのかもしれない。

 

贅沢病だと思われるだろうか。でも、そうした悩みがリアルに存在しているのだと推測できる。苦しみも楽しみも疲れたら休んで癒すこと、それが明日も明後日も僕らが生き続ける上で重要な点だろう。

 

まぁ、休憩と一言で言っても奥が深そうなのだが。エヴァンゲリオン葛城ミサトが風呂は心の洗濯だと言っていたが、これは名言だなぁと思っていて…。瞑想がいいと聞いたこともある。

 

涙活とか…。この言い方はあまり好きじゃないが(苦笑)最も良いのは質の良い睡眠を取ることだろうけれど。

 

私は疲れやすいから、ナポレオンみたいに「睡眠時間は人生の損失だ!」とか考えないな。最近、その手の「俺寝てないアピール」が疲れる。

 

人生の1/3を寝て過ごすことは、そんなに損だろうか?私はそんな風に考える。損だというのは恐らく遊ぶ時間が少しでも欲しい自由時間の限られた人間の発想である。1/3は仕事だから、1/3で遊んで充足しなければ割に合わない、とか。

 

本当にそうだろうか。それは嘘である。人生は無意味である。苦も楽も結局は自分を疲弊させる。仕事も余暇活動も自分の心身を摩耗させていくとするなら、寧ろ睡眠だけで休憩は十分なのだろうか、と私は思う。

 

それで仮に人生の2/3を都合、寝て過ごしていたとして、私はそれを人生の損失だと考えるかどうかと言うかというと、大して違わないような気もする。余暇時間が要らないという訳では無いのだが。

 

ただ、何をしていても結局のところ、人生は空虚なのだ、という問題に向き合わねばならない時というのがある。私だけだろうか(´・ω・`)どんなに苦労してもどんなに栄華を極めたとしても人生は空虚である。まぁ、疲れているのね。ちょっと休んだ方がいいわ、と。

 

ならば、優先するのは「休むこと」である。

 

簡単に書いてみよう。

仕事→人生は空虚だ

私生活→人生は空虚だ

休憩→私は元気になった。暇だ。

 

ならば、優先するのは「休むこと」である。休んでから好きにしたらいいのであって休むというプロセスは抜けないからである。必要不可欠だから抜けないのであって不要の対極である。

 

 

人生が満ち足りたものであるかどうか、というのは、どちらかというと「何を成したか」では無く「よく休めたか」に掛かっている。「良く休み、よく働く」であり、その逆では無い。

 

休むということを無駄の中に要れるべきではない。どちらかといえば最重要なのだから。