LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の適当な日々の考察と日記

まず頭が悪く感情が優先し理屈を飲み込むのに時間が掛かる

というのが人間だと思う。

 

誰とでも仲良くと小学校辺りで習ったものだけれど、今はどうなのだろう?やはりそう教えるだろうか?確かにそう教えざるを得ないような気もする。

 

だって、誰とでも仲良くなれる訳では無い、と教える方が問題になりやすいだろうから。

 

ただ、発達障害者とか頭ごなしの道徳を鵜呑みにし易い人たちに、そうしたルールを教えると本当に面倒になる。そして、そういうルールを思い込んだ人は見ていて可哀想でもある。

 

大抵のルールの言われ方は「誰とでも仲良くしなきゃいけない」みたいなもので、それは建前である。本音はどうかというと「誰とでも仲良くできるわけではないが、では平和に過ごすにはどう言えば良いのかも分からない」だったりする。

 

一言で言えないし漠然としているために他人に説明できない。

 

日本でも国際平和と言っているし他文化の尊重と言うが、その実「国際社会に協調する者」に限定しているようなので、それは結局は「他文化を尊重しない」ということである。

 

あるホームレスが迷惑だというので話題になっているが、彼も結局は尊重されないだろう。受け入れられる限度を超えている場合には仕方が無い。

 

反発を覚えるだろうか?だとして、その反発は適当だろうか?仮に犯罪者や重篤な感染病の罹患者だったとして彼の意志を尊重してやれるだろうか…?

 

分水嶺と言うか幾つかのハードルがあって、それを越えると受け入れ難くなる。「堪忍袋の緒が切れる」という表現があるが、それが何かと言うと具体的なアレコレというよりは量的な問題が行き過ぎた時にアウトになるというイメージの方が適切だろうか?

 

他人を尊重する時には自分もまた尊重されなくてはならない。私が我慢ばかりするのでは耐えられないからである。そう考えると納得できるだろう問題は多いのかもしれない。

 

まぁ、そうすると公平で平等であるべきだ、という話になり、この不平等な世界でそのように叫ぶと結局は公平で平等であろうとさせるがために不平等な状態を肯定する羽目になるわけである…。

 

要は、公平で平等であるべき、という対等性の問題では無いのである。夫婦は平等で対等であるべきだ、と聞かない日は無いくらいの世の中だが…。

 

…うーん。

 

例えば、犬と猫を飼っていたとして、犬はドックフードを食べ、猫はキャットフードを食べれば良いと思う。平等対等という時、彼らは何を食べるのだろう?

 

人間と一緒くたに言っても犬と猫がいるのであり、習性や食べ物…諸々、様々に異なる。

 

元から異なるから対等にも平等にもならないというのが基本であり、個別に十分に配慮するということが「尊重」という意になるだろうか…。

 

私はやはり『竜の卵』という小説をこの手の話には挙げたいと思う。弱く生まれた個体は仕方ないから老人用の仕事を村長から宛がわれて…みたいな話。

 

反対に「努力が報われない」「能力が評価されない」という非正規の方の話もあるんですが、そうじゃなくて「努力してもできない」「能力も無い」人が「もう仕方ないから適当な仕事で良いよ」という風に考慮して貰える社会ならばもう少し生き易かったのでは無いかと妄想するんですね。

 

思うに、そうした無能な人たちはワーキングプアになったりするので。対等でも平等でも無くて良いので「僕に優しくしてよ」と思う訳ですね。

 

なぜ障害者が健常者と一緒の資本主義の仕組みの中で働かねばならないと言うのだろう…。大人が小学校の運動会で走らされてる感じというか…(´・ω・`)

 

演劇に行ったらお客さんちょっとと呼ばれて通行人1にされてしまった時に感じたあの感覚…(´・ω・`)「すいません。私違いますけど」

 

幼稚園のお遊戯で木の役とか。「先生。私必要無いですよね」みたいな。

 

大体、私が人間と関わろうと言う時に感じるのは、この運動会・演劇・幼稚園の例に挙げた感覚ですね。「私、違うんですけど」という。けど、そこ以外席が無いと言うんですね。

 

これが現代という時代の限界か…とも思うんですが。まぁ、義務教育で感じたのは能力差があっても平等対等が重要だから皆一緒くたにさせなければならない、という先述した間違った対等や平等の使われ方が横行してるなぁという感じですね。

 

私はゆとり教育は経験したのですが、私の学校の場合は個別に指導するということをちゃんとやろうとしていたので、まぁ良いんじゃないかなと思ってたんですが。ネット世論の言い様と私の評価は別ですね…。

 

ゆとり、という言葉は恐らく「甘え」の代替語として便利だったから使われたんだと思いますね。「甘え」というのが批判される風潮になったから「ゆとり教育のせい」という形に婉曲に言うようになった。

 

結局「甘い環境で生きてきたから」と言いたいんですね。発想が20年前と同じっていう…。嘆かわしいことだ。少なくとも20年停滞したままなんですね。発想が昭和だ…。

 

「甘え」というのも体罰OKだった頃の系譜で体育会系でも連呼されていそうなワードだから、ゆとりって言葉を風化させるくらいにしないと結局、温床として残ってるって風に見て良いと思うんですよね。

 

まぁ、不良が起こす事件で書かれてる科白とか、昔の不良漫画を辞典にして引っ張ってきたのかな…というくらいにテンプレなことを言っていたりするようだけれども…。

 

色々変わってきたのかなぁと思うこともあるが、変わらないことも多いですね。企業の体質とか…。腐敗とか。昭和かな、と。21世紀?嘘でしょ。と思うことが多々あります。