LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の趣味と考察と日記を適当に

同じ人間だから分かり合える という謎の理屈

グレイセスエフの話。

一から10までこの理屈であり、ラスボスもDLC版ラスボスも「分かり合えるはずだ」で終わり。その癖、実質、ラスボスもDLC版ラスボスも封印してしまう。

 

いや、分かり合うんじゃなかったのかよ(笑)そうじゃない。

主人公「問題は棚上げし、先延ばしだ!」

 

ソフィ「永遠を生きるって無理じゃね…精神的に」

 

主人公「問題は棚上げし、先延ばしだ!」

 

である。そうしているうちになぜか、ソフィもラムダも自己解決しているという。そんなの夢だよ('_')特にラムダさん…デレるの早すぎじゃないですかね。

 

追加DLC版みたいなのは拙速なものが多い気がします。有名映画シリーズの2作目みたいな印象が…。

 

「分かり合えるはずだ!」→父親死亡後に美化→肯定。この流れは実際良く無いですね…。「死人に口なし」だから幾らでも本人を改変できるし自分の都合の良い人間に仕立て挙げても文句も言えないのだから。

 

和解というのはもっと難しい問題だから、こういう風に物語の都合で簡単に解決されちゃうのを子供に見せたくないな、と思う。

 

そういうテーマを扱ってるのに「同じ人間だから」を持ち出すのもどうかと思うし。ヒューマノイドのソフィを自分と同じように接しているのに、フォドラのヒューマノイドパスカルがモノ扱いし解体し始めても咎めもせず傍観しているという…(´・ω・`)

 

DLC版の場合、人間じゃない。ヒューマノイドだから壊しても問題無し!(´・ω・`)…えっとソフィさんにも同じことを言わないとダメだと思うな。

 

感想にあったのですが、ソフィが美少女で無ければならない理由って無いですよね。おっさん型でも良いし、タチコマみたいのでも良い。その時に、友情が芽生えるか、家族にするか、養子にするか。

 

「おっさん…あんたは俺の子供になるんだ(´・ω・`)

 

とりあえず、ヒューマノイドは人間の形をして無くて良いと思うな。それで同一視させて「同じ人間≒人間と同じようなもの」扱いするんでしょ。同じじゃないから(´・ω・`)

 

もう外見変えて「人間と同じじゃないよ」アピールしないと、本当に知性を持った時に、それと向き合えないんじゃ無いかね。

 

DLC版ラスボスも「人間が憎いのになぜ人の姿をしているのか」疑問過ぎる…。こういう時、僕らは「同じじゃないものを」「同じ人間にしたい」のである。人種差別も基本的に「同じにしようとする」という形の差別をする。

 

それで「同じになった」めでたしめでたし、というのは酷いストーリーだと思う。DLC版ラストでソフィが涙を流していたが、違うヒューマノイドのイベントでパスカルが「ヒューマノイドが人間になる必要は無い」と言っている。言ってやれよ…「お前は人間じゃない。だから涙なんて不要だ、と(´・ω・`)

 

その辺を誤魔化すのでモヤモヤしますね…。