LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の適当な日々の考察と日記

人は恐らくいじめられずとも自殺する

前にも書いた気がするな…。

 

今の世論って、子供の自殺は「いじめ」のせいだ。でしょ。私から言わせると、そうじゃないケースもある。「いじめ」は無かったけど、死んでしまった。恐らく、そういうケースもあると思う。

 

私は発達障害だから、みんなと違うし、そのことで孤立感や排他を味わった。スクールカーストの中でどういう位置に言ってしまうのか、お察しである。それでも、死ぬほどの…特定の相手からの苛めは無かった。

 

まぁ人によっては死ぬかもしれないが(苦笑)人によっては、ちょっと怒られただけで死ぬので(´・ω・`)特に若い頃人生経験が無いんで受けるショックも強くてサクッと逝くんですね('ω')b

 

そうじゃなくて、社会構造上、発達障害なんて淘汰のレールに乗せられるので、その結果として、生きていけない・生きているべきじゃない、と思って死ぬケースがあると思うんだよね。成績悪い、人間関係悪い、性格悪い→イケナイヤツだ。「あぁ、私って駄目な人間なんだなぁ…」みたいな。

 

その社会的評価のラインに乗ってく中で自分がどこからも「要らない子・ダメな子」と評価され続けたら、それはもう死ぬしかないんじゃないのと。

 

仮に虐められずとも、そういう評価は受けざるを得ない社会構造があるので。私なら職業診断テスト→芸術家みたいな(笑)あぁ、なるほどね(笑)と思うもん。そういう一々がやっぱ君って人から必要とされてないよね、寧ろどっか行って、って私に告げて来る。

 

だから、どこかへ消えた方が良いんだな~と思ったら、どうするのか、という話で。いじめられずとも自死を選ぶかもしれないってことですね。加害者は社会構造自体なんで。そういう問題なんだ、という自覚がどこまであるのかな?と思う。

 

 個人叩きに終始するのは、日本が社会の責任を追及しない社会だから。集団主義だから、個人に責任を押し付けて終わりにしようとする。

 

特定の名前を持ったスズキ・ケンジ(適当)とか、そんな感じのユニークで他に変わりのいない人が「いじめ」たり「殺し」たりしているわけじゃない。

 

私なら私を理解するには発達障害者Aで十分。名前や顔があって取り換えの利かない個性があって、だから馬鹿は死ねば世界は少しだけ平和になると思えるとしたら、それは違うだろう(´・ω・`)

 

馬鹿は殺しても同じ馬鹿が次から次へと生まれて来るので。だから、他人を理解するなら記号で十分。プロファイリングみたいな話で。他人を型や枠に嵌めて見る見方は、間違っているわけじゃなくて、型や枠が適当じゃないだけ。記号ったって凄く複雑なので('_')

 

西尾維新みたいなね('ω')登場人物は全てサブカル的な記号的なキャラクター。けど、現実もそれを複雑にしたようなもんだと思うので。精神疾患だけがそういうのじゃなくて、分けようと思えば何何型とか全て分けられる。

 

寧ろ、そういう風に他人を見ざるを得ないし。「あぁ、この人はこういうタイプの人間なんだな~」と。そういう見方を否定してしまうと多くの人間と付き合うのは辛いと思う。

 

今は顔と名前が出て「こいつらが悪い」だけど、所詮、ABCD…という有象無象の人達に過ぎない。特定の他人を強烈に意識する人に対しては、そういう距離を置いたら?と思う時がある。

 

みんな偏差のどこかで生きてきた人達で、人間という動物の集合のどこかに位置する誰かに過ぎない…と。イメージとしては犬の図鑑を開いたら色んな犬種が出てるけど、そんな感じ。

 

人間は一種類と思うイメージよりは、人間は100種類くらいはいると思った方が、私は現実に対する適当な見方ではないか、と思うんですよね。

 

で、その100種類の人間が適当に幸せになって上手くやっていける社会が築けたら良いなー、というのが社会の理想であって。「人間ってのは一種類じゃない」ってのは重要なんじゃないの。