読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

LittleBear Communication Disorder's

発達障害者の適当な日々の考察と日記

ひきこもりと「こころ」

夏目漱石の『こころ』を読むと、引きこもりの問題と繋がると思う。主人公は親の遺産で生活してるのだけれど、そこに罪悪感がある。

 

していることは「引きこもり」だと思っていて、社会で自分は何の役にも立たず、のうのうと生きている。その癖、Kからお嬢さんを奪ってしまう。

 

その辺の罪悪感の積み重ねが彼を自殺に追い遣ったのだろう。その辺りの「何様のつもりだろうか…」という気持ちや他の人たちと同様の苦労を負わねばならない(義務)という心理が自身の重圧になる。ならば働けと人は言うが働けない。ならばお嬢さんをKに譲り身を引けというが出来ない。

 

言うは易し。行うは難し。

 

である。2chの言論は実に「誰しも有言実行の人であるはずだ」という前提にたって書き込みをしている人が多く、あるいは目立つと、時々読みに行くと毎回のように感じる…(苦笑)

 

やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ

 

 

という有名な文句があるが、意味は「人を動かすことは簡単では無い」というくらいのものだろう。「さすれば動くだろう」というよりは(´・ω・`)褒めときゃいいんだろ?と簡単に受け取る人もいる。

 

それはアスペ的でね(笑)、言葉だけを鵜呑みにしてるんですよ。割り算で、割る時に、掛け算に直す際に、なぜ逆さまにする必要があるのか。その「なぜ」を常に考えるような教育をしなきゃ地頭は良くならないと思うな…。

 

ここで言ってるのは、

 

10÷2=10x1/2

 

みたいなヤツです。分数の計算だと結構躓くところだと思う。これが

 

5/2 ÷ 3/10 とかだと訳分からなくなるという(´・ω・`)ゲシュタルト崩壊というか、なんで逆さまにしてるのかわかんなくなるんですよね…。褒めときゃ良いんだろ?って人はなんで逆さまにするの?って聞かれたら「そうしときゃいいんだよ」と答える。

 

そして、そういう人が結構多い。けども、頭の良い人ってのは「なんで逆さまにするのか」考えようとするし、答えを出せる人だと思う。そして、融通も利くんですよ(´・ω・`)

 

私はあまりそういう人である自信が無い。2chで目立つコメントの大半も融通が利かない人のコメントなんだと思う。

 

「引きこもり」の話だったが、別に引きこもっていても良いとはおもう。問題は周りであり「引きこもる生活」が「普通じゃない」から「正さなければならない」=「矯正されなければならない」という考え方をされる場合である。

 

「100人の人間がいたら、100人役に立つ」という考え方をする必要があるだろうか…。自分が役立たずだとして、役に立つ必要があるだろうか…(´・ω・`)役に立たないことを受け入れなさい。さすれば救われる(笑)

 

「人の役に立ちたい」という人は多いが、時に「役に立たねばならない」という「役立たずはろくでなしで生きている価値が無い」という観念になっている場合がある。

 

そういう観念を社会というか政治側が送ってきていて、それを植え付けられている部分がある。生涯学習とか。勿体ない精神とか。そういう時代的な言論に扇動されて右往左往し思い煩う。

 

何かしないといけない。。。

私は、可愛げも無い何の役にも立たない犬猫でさえ生かされてるのだから人間だって何の役にも立たない人も生きていて良いと思う。まぁ、犬猫だって未だに殺処分になったり世知辛いですけどね(*ノωノ)

 

ある人は「旅行に行くからペット殺しといて」って感じで保健所にポイしたとかしないとか…(*ノωノ)それで殺される側としてはね。極端な例だけど、そんな感じで所詮、多かれ少なかれ僕らは社会の都合で生かされてるわけだから。それを普通感じないのは、レールに乗れるような「健常者」として生まれてきたから。けれど、集団リストラとか、一般の人でも、その「都合」を感じる場面はあると思う。

 

ほんとは、そうなると個々人の役に立つの立たないのという能力はどうでも良いんだと思う。その時の社会で都合が悪くなれば能力があろうと無かろうとポイされるでしょ、と。戦時は東大出だろうと医者が多く亡くなったらしいんだけど…。国境の無い医師団とかもアレじゃないですか…能力ある人たちでしょ。でも僕らは自分に能力がありさえすれば…と思ってる。統計的にはそうかもしれないよ。

 

役に立たない側としては役立つことに憧れるし、能力があればどうにかなると思ってるんだけど、そうなのかな?と。能力があるとか無いとかいうことは、まぁその時点での生き残りには重要だし、正論だとは思う。

 

問題は、私がそうではないということ。役に立たないということ。それをどう救うか、である。役に立つようにすること、ではなく、心理的に生きられるように。

 

勿論、周りは何とかして役に立つように「矯正/強制」してくるわけですが…。ただそれを私が「期待に応えねばならない」と紛糾するのは死に向かってると思う。

 

応えられなかったから現在があるわけで(*ノωノ)

 

まぁ、要するに引きこもりに対する最も素直な対応は明らかに「もう頑張らなくて良いよ」ということですよ。無論、そうできない「都合」も理解してますが。それって国のために徴兵せざるを得ないとか、そういう話で個人の「自分はダメな人間に違いない…」云々には一切関係無い訳ですよ。

 

特殊な問題に対するアファーマティブアクションが、ベーシック・インカムとか「全員じゃなければズルい」みたいな話にずらされる融通の利かない考えで制止されるせいなので。

 

『こころ』もそうだけど、結局それゆえ「社会の都合に合わせようと苦慮した末に自責の念に駆られて死んでいく」というのが、引きこもりの自殺だと思う。その手の自殺ってのは社会による殺人ですよ。

 

追い詰めて置いて、あいつが勝手に死んだ、という。

 

追い詰められて勝手に死ぬ、という。

 

働けなくても衣食住は提供されるのが生存権だと思う。 そこに甘えていていいんじゃないの?と。それは間違いなんだと思いがちだけど。みんなが違うのに私だけそうするわけにいかないんだ、と。いや、君はみんなと同じじゃないからさ。特別、生き難い。特別=良い意味ではない。『こころ』では特別=特権的に考えられてしまう。自分もそう思ってしまう。恵まれているのだ、と。

 

けれど、自分はそのことに懊悩する。自責の念に駆られる。

 

恋人もできない。結婚もできない。他人と対等な関係が築けない。満足な娯楽を買える金も無ければ、自由も制限される。生活に他人の目が入り込む。それで仮に「特別、働かなくても良い」としてそれは恵まれているのだろうか…。

 

それはそのように思い込まされているに過ぎない。思い込もうとしているに過ぎない。社会の都合の中で排撃され苦しまされて、自責の念で更に自ら苦しむのは愚かだと思える。

 

しかしながら、そこで苦しまなければ自分が「普通」ではないと認めることになるのかもしれない…。自嘲。

 

社会の落伍者でありながら、未だ自分を「普通」であると思おうとする頑迷さ。「普通」とは何か。定義は無く、それが分からないからこそ許される考えだ。

 

 けれど、ストライクゾーンのように枠があるとして、私はそこから外れていると思う。世の中にはそう思わない人もいるということである。認められないのか、本当にそう思わないのかは定かではないが。

 

けれど、そのことが自分自身を苦しめる結果になるのでは無いだろうか…。どうせ認めずとも社会の都合からくる差別により必然苦しむことになるのだから単純に言っても倍の苦しみを味わうことになるというのに。

 

時に開き直っている人もいて、詐病を気取るのだが。発達障害の場合「自分は障害持ちなのだ…あぁ、苦しいな」と詐病を気取る演技をしていたりして実際に発達障害である、ということがありそうだと思う(´・ω・`)普通だと思うか詐病だと思うか。まぁ、詐病は普通だと思っていて実は普通では無いという更なる滑稽さがあるわけだが…。

 

自分を普通だと思い込みたい心理とは根強いものだ、ということが分かる。滑稽だが人間には時にそう働いてしまう心の構造があるのだ。別に発達障害者に限らないが。日本人=普通という尺度も同じである。

 

まぁ、話がどこから来てどこへ向かっていくのか分からなくなってきたが…。結局、引きこもりは、自分を「普通」だと思っている場合が多く、それゆえに「働けない自分」に懊悩するだろう。「働けない自分」とは上手くこの社会の生活パターンに自分を当て嵌めていけないということであって単に怠け者であるわけではないと思う。

 

その辺りを社会が理解してくれるようになると期待するのには時間が必要だと見積もるしかないが…。少なくとも自分自身が理解することができれば多少楽になるんじゃ無いのかな…と思ったり思わなかったり。「それで死んでもまぁ仕方ないんじゃないの」と思ったりする。

 

生まれながらの業であり、不治の病なんだから仕方ない…と。赤紙が来て、神風特攻の指示を受けたら、もう観念するより仕方ないでしょ。逃げたら銃殺って言うんだから。引きこもりも、そういう仕方なさで、自分が社会に馴染めないことを認めるしかないんじゃないか、と思ったりするわけです。

 

自分が社会に復帰できて、社会のシステムに自分を再び?(私は一度として自分をそこに乗せられたことがあっただろうか…)乗せていけると期待するよりは、社会の屑と罵られながらも自室の鍵を諦める方が安心して生きていけるんですよ…当面は(´・ω・`)

 

果たして選択肢なんてあるのかな…。神の視座に立って、それを知りたいもんですね。その時々で取り得た行動と未来が攻略wikiみたいに見れたら良いのに(笑)死んだ後でも良いから最善だった選択肢が知りたい。

 

そのくらい少なくとも私は人生が失敗するために出来ていたんじゃないかと思う感じのアレです。ナイトメアモードなんじゃないか、と書いたことがあったような。まぁ、人生ってのは基本厳しいですよね。自然が厳しいから。

 

自然ドラマ系の映画を見たんですが、生きて行けそうに無いですもん。どっかで死ぬんですよ。自然に生きてたら。老衰はほぼあり得ない。人間は社会という砦を築いて、あるいは防波堤を作って、自然から身を守ってるわけで。

 

だから勿論、村八分にされるとか、その防波堤の外に投げ出されたら、厳しい自然の中で、より酷い目に遭う。セーフティネットが無いとかいう話は、そういう酷い目に遭う場所に投げ出されてしまうことを意味するわけで。

 

敷かれたレールの上で生きた方が安全安心だし、大抵の人はそう生きられるはずだけど、残念ながら大抵の人じゃなかったので…(´・ω・`)難病に掛かったり、まだ治療法が無い病気だったり、あるいは他の何かだったり、その砦の範囲外の場所に自分が行ってしまっている場合には人間は弱いですよ。自然が厳しいから。鎧を着てないようなもんで。

 

結局、そういうまだ無防備な部分に自分が投げ出されざるを得ない個体なんだと思うんだけれども。